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2020年5月18日
織田信長と言えば、歴史上の人物の中でも最も人気がある1人だよね。
英雄的なイメージが強い織田信長は、治世、外交、軍事とあらゆる面で斬新でフレキシブルな行動力を発揮したことでも知られているよ。
織田信長も覇業を表す言葉として有名なのが「天下布武」だよ。
天下布武は信長の天下統一への野心の証拠という文脈でも語られているんだ。
ここでは信長の天下布武に込めた意味や思いについてまとめてみよう。
目次
【天下布武ってなに?】
天下布武とは、信長が自身の印章に用いた文言としても有名だよ。
つまり天下布武は、信長が世の中に示した公約のようなものなんだ。
一般的に天下布武は、「天下を武力で平定する」という意味で捉えられがちなんだけど、実は「天下布武」の「武」は武力の武ではないよ。
この「武」というのは、「戦いを止める」という意味を持っているんだ。
また「武」は「七徳の武」のことであるとも言われているよ。
この七徳の武とは、古代中国の古典である「春秋左氏伝」に、武の7つの目的を備えたものが天下を治めるのにふさわしいと記されているんだ。
ではここでいう7つの目的って何なんだろう?
7つの目的は
・暴力を禁じる
・戦を止める
・大国を保つ
・功績を成し遂げる
・大衆を仲良くさせる
・民を安心させる
・財を豊かにする
であり、この7つを備えたものが天下人にふさわしいと言われているの。
戦国の世の中では紛争が各地で相次ぎ、自国を侵略される危険と常に隣り合わせだったんだ。
攻撃される前に、周辺を侵略して、さらに国力増強を図ろうとするため、悪循環に陥っていたんだよ。
戦によって多くの民衆は命を落とし、いくつもの国が滅びていく…
そんな世の中に終止符を打つという名目こそが「天下人」の大義でもあったんだよ。
つまり「天下布武」っていうのは、「天下に七徳の武を布く」という天下泰平の世を創るという信長の決意表明だったんだよ。
ちなみにこの「天下布武」の4文字は、信長の名付け親である沢彦和尚が贈ったものと言われているよ。
「天下布武」という言葉を、たいそう気に入った信長は「自分の理想に合う言葉である」と喜んだそう。
【天下布武は朱印として用いられた】
信長の「天下布武」印は、印章として用いられていたんだ。
天下布武印は朱印といい、書類へのサインの代わりとして捺印していたそう。
ちなみに個人を示す手書きサインは「花押」と呼び、花押の代わりに朱印を捺した文書を「朱印状」と呼ぶんだよ。
信長の「天下布武」印からは強烈な野心を感じることができるよね。
ちなみにこの「天下布武」印は、永禄10年(1567年)頃から使われていたと言われているんだ。
この年に信長は美濃にある稲葉山城を攻略し、城下を「岐阜」と改名したタイミングだったんだよ。
美濃の支配権を確立した信長は「天下布武」印を使っていることからも、すでに天下を視野に入れていたことがよく分かるよね。
【天下の意味は日本全国ではなかった?】
天下布武の「天下」という意味は、日本全国を意味しているように感じるよね。
でも実は、日本全国という意味ではなかったと言われているんだ。
実際、その当時の信長は尾張国と美濃国の2か国しか領有していなかったんだ。
天下布武の「天下」とは
・将軍自身
・将軍の政治
・中央政権に対する世論
・日本全国ではなく限定的なエリア
を意味していて、京都を含む5畿国を表現していたのでは?と考えられているんだ。
ちなみに、五畿内とは山城国・摂津国・河内国・大和国・和泉国の令制5か国のことを言うよ。
信長が理想としていた「天下布武」は、武徳によって戦乱の世の中を終わらせて、平和な時代を築きたかったという決意でもあったんだろうね。
でも実際には天下布武を掲げた信長は、天下人目前にして、本能寺で明智光秀に討たれてしまうんだ。