世界遺産「厳島神社」には不思議がいっぱい!その謎に迫る!
2024年1月7日宮島にあるのは厳島神社だけではない!宮島の神社を徹底解説
2024年1月7日世界遺産である宮島の厳島神社といえば、海の上に建てられた朱色の社殿と大鳥居が美しいよね。
今回は厳島神社の社殿の魅力に迫ってみよう。
【厳島神社の境内を徹底解説!】
厳島神社は、国宝・重要文化財の建造物が17棟3基もあるんだ。
東廻廊45間、西廻廊62間で、本社の他に客神社・朝座屋・祓殿・高舞台・平舞台・左右門客神社・火焼前・大国神社・天神社・能舞台・反橋・長橋・揚水橋・内侍橋の建物構造群から成り立っているよ。
さっそく詳しくまとめてみよう。
<廻廊(国宝)>
廻廊は東廻廊と西廻廊があり国宝に指定されているよ。
東廻廊は47間、入口は切り妻造りで、屋根は檜皮葺、棟には棟瓦が載せてあるんだ。
一方、西廻廊は61間で入口は唐破風造りになっていて、昔は西側が入口だったの。
廻廊幅は約4m、東西合わせた廻廊の長さは約260m、柱間約2.4m。
一間一間に釣灯籠が下げられていて、
廻廊の床板は一間に8枚敷いてあり、釘は使っていないの。
板と板の間は少しすき間があって、満潮時や台風時に波のエネルギーを減らし消波する構造になっていて、建物を守る工夫が行われているよ。
現在床は二枚重ねになっていて、本来の床板は下にある方なんだ。
上に敷いてあるのは「養生板」と言って、参拝者が土足で歩いても大丈夫なようになっているよ。
<釣灯籠>
廻廊にある釣灯籠は、毛利氏が鋳鉄製のものを寄進したのが始まり。
現在のる釣灯籠は、大正時代に奉納されたもので青銅製だよ。
<客神社(国宝)>
厳島神社の参拝は、入口を入ると東廻廊があり、すぐあるのが客神社だよ。
客神社は御本社と同じく、本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、嚴島神社の祭典は、客神社から始まるの。
客神社と御本社を間違える参拝客もいるんだって。
建物は鎌倉時代の仁治2年(1241年)に再建されたもの。
客神社の本殿は後方にも庇を伸ばした両流造となっているよ。
客神社には
・天忍穂耳命:天照大神の長子で「農業の神」
・活津彦根命:
・天穂日命:天照大神の子で「農業の神」
・天津彦根命:「日の神」「雨の神」「風の神」「火難除けの神」
・熊野櫞樟日命
の5男神が祀られているよ。
客神社は摂社の中で最も大きく、厳島神社の祭事では一番先にこの客神社をお参りするんだ。
祓殿正面の海側の波除板が切れているのは、昔そこから下へ降りるための出入り口の名残りであると言われているよ。
<鏡の池>
社殿東廻廊の海中にある「鏡の池」は厳島八景の1つ。
干潮時に厳島神社を参詣すると、満潮時では見られなかった社殿の足元部分を見ることができるよ。
潮が引いた時に丸い池が現れるんだけど、それが「鏡の池」なんだ。
鏡の池は境内の「朝坐屋」の前にあるよ。
鏡の池に映し出された中秋の名月は何物にも代え難いほど美しいと言われているの。
そしてもう1つ注目したのは、鏡の池の水は干潮時も決して干上がることがないそう。
それには理由があって、鏡の池は海水ではなく、川の水(淡水)が湧き出ていると言われているの。
<朝坐屋(国重要文化財)>
朝座屋は東廻廊、客神社を過ぎた場所にあり、社家・供僧・内侍が祭典や会合の際に集合した場所なんだ。
屋根は東側が切妻造り、西側が入母屋造りになっていて、三方に庇の間があり、客神社、御本社の寝殿造りと対をなしているよ。
現存する朝座屋は江戸時代初期から中期に再建されたもので、国の重要文化財指定。
明治時代~昭和30年代まえは社務所として使われていたものの、現在は厳島神社での舞台での舞楽などの休憩室として利用されているそう。
<枡形>
客神社の祓殿と廻廊で囲まれた場所を「枡形」というよ。
毎年旧暦の6月17日に行われる「管絃祭」では、御座船や阿賀・江波の曳船が枡形で船を3回廻すの。
廻廊には大勢の見物客が陣取って、管絃祭のクライマックスを迎えるんだ。
ちなみに「管絃祭」は、厳島神社を造営した平清盛が始めたとされているよ。
平安時代、都で行われていた管絃遊び(池に船を浮かべて管絃を合奏する遊び)を、厳島神社の祀神を慰める神事として執り行なったのが始まりなんだ。
<揚水橋(国重要文化財)>
揚水橋は本殿を陸側から見て左側、東廻廊と本殿を接続する形で架けられている橋。
背丈の低い高欄が組まれていて、親橋の上には擬宝珠の変わりに厚板が組まれているよ。
揚水橋が造営された理由は不明となっているんだけど、橋の中央部には「桟の間」と呼ばれる出っ張りがあり、水を汲み上げるような装置が組まれているため、昔は海水を汲み上げていたと推測されているんだ。
揚水橋の横には手水鉢のような石の置物が置いてあり、この置物に海水を貯めて水を汲みとるようになっているの。
揚水橋の下には鏡の池があるよ。
<卒塔婆石 >
揚水橋の下にある「鏡の池」の中にある石は「卒塔婆石」と呼ばれているよ。
この卒塔婆石は、平康頼にまつわる伝説の石なんだ。
平康頼は平治の乱で敗走の途中で、尾張国で討たれた源義朝の墓を建立したんだ。
その噂は京の都にも届き、後白河上皇は武士道の礼節をわきまえた頼もしい若者だと取り立て、平判官と称せられるほどに出世したの。
しかし、安元3年(1177年)に平家打倒の密議に参加した罪で捕縛され、薩摩国鬼界ヶ島へ流されてしまうんだ。
平康頼は京に住む老母を偲んで2首の歌を1000本の卒塔婆に書いて流し、その1本がこの石のところへ流れ着いたと「平家物語」に記されているよ。
その歌が
「思いやれしばしと思う旅だにも 猶故郷は恋しきものを」
「薩摩潟沖の小島に我ありと 親にも告げよ 八重の潮風」
なんだ。
厳島神社に参拝に来ていた僧によってこの出来事が京の都に伝えられ、平康頼は帰京を許されたんだって。
<康頼灯籠>
鏡の池の背後には厳島神社で最も古いとされる康頼燈籠があるんだけど、これは京に戻った後に、平康頼が奉納したと伝えられているよ。
<内侍橋(国宝)>
本社拝殿への両側に1基ずつあるのが国宝に指定されている「内侍橋 」だよ。
東廻廊・西廻廊に渡る橋で「右内侍橋」と「左内侍橋」があるの。
屋根がかかっているから、橋というより短い廻廊のようにも見えるんだ。
厳島神社にお仕えする巫女は「内侍」と呼ばれていたそう。
昔この橋を内侍が渡って、神饌をお供えしていたため「内侍橋」と名付けられたんだって。
<御本殿(国宝)>
御本殿は国宝に指定されていてその広さは、正面8間・背面9間・梁間4間で、床面積は出雲大社の2倍の大きさにもなるんだ。
創建当初の屋根は「こけら葺き」であったものの、平清盛の大造営時に「檜皮葺」へと葺き替えられたそう。
本殿(拝殿・幣殿・祓殿)は593年の創建で、大規模な修繕と造営はわずか2回のみなの。
1回目の造営が1168年の平清盛、2回目の再建が1571年の毛利元就と伝わっているよ。
本殿は一般の参拝客は立ち入ることができない「禁足地」で、左右は非対称になっているのが特徴なんだ。
御祭神は
・市杵島姫命
・田心姫命
・湍津姫命
の宗像三女神だよ。
三女神は、海の神・交通運輸の神・財福の神・芸事の神として信仰されていて、平清盛は三女神のご利益にあやかり、
瀬戸内の海賊を平定し、日宋貿易によって莫大な財を築いて、昇進したんだ。
本殿は三女神の他に、30柱の神様が相殿されているの。
<幣殿(国宝)>
本殿の「幣殿」は、神前に供える「幣帛」を供える殿舎で、拝殿と本殿との間に位置しているよ。
一般的な神社建築であれば本殿の前に拝殿を配するのが通例なんだけど、厳島神社では拝殿と本殿の間に幣殿が配されているの。
<拝殿(国宝)>
本殿の「拝殿」は参拝客が御祭神と向き合い、お祓い・参拝する施設だよ。
大鳥居からの距離は108間(約196m)
本殿の母屋部分の前面に位置していて、拝殿では神前挙式が行われることもある神聖な空間なの。
厳島神社の拝殿には大きな特徴があるよ。
天井部分は化粧屋根裏と呼ばれる天井がなく、屋根の裏側が見えるような造りになっているんだ。
この造りは「二棟造り」もしくは「三棟造り」と呼ばれているの。
拝殿の下から見上げると棟が2つ見え、その上を1つの棟で覆っているように見えるんだって。
この三棟造りは奈良時代の建築様式になるよ。
<祓殿(国宝)>
祓殿はお祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦(御輿)が置かれる場所なの。
また雨天時の舞楽奉奏などにも使われるよ。
平清盛が創建した当初は「舞殿」と呼ばれていたそう。
厳島神社の祓殿は拝殿の前面に位置していて、高舞台と回廊に挟まる格好で位置しているよ。
本殿の最も前面に位置しているの。
<高舞台(国宝)>
高舞台は舞楽が行われる舞台のこと。
舞楽とは歌による舞踏で、厳島神社では陵王・振鉾・萬歳楽・延喜楽など18曲が舞われているんだ。
天文15年(1546年)に厳島神社の神官であった棚守佐伯房顕によって築かれたよ。
創建当初は組立て式だったけれど、江戸時代初期に作り付けの構造になったんだ。
厳島神社の高舞台は、四天王寺の石舞台、住吉大社の石舞台とともに「日本三舞台」と呼ばれているよ。
<平舞台(国宝)>
御本社(本殿・拝殿・祓殿)の前の、大鳥居を眺める海側に配されているのが平舞台だよ。
広さは167.6坪で、旧暦の6月17日に斎行される「管絃祭」はここからはじまるの。
平舞台は神様が眺める、神様に奉納することを意識して作られた場所なんだ。
寝殿造で言えば庭にあたる部分になるよ。
平舞台を支えているのが、火焼前分と合わせて239本の束柱だよ。
厳島神社の社殿の束柱は木製なんだけど、平舞台だけは石の柱なの。
この束柱は赤間石でできていて、戦国時代に本殿を改修した毛利元就が寄進したものになるよ。
<右門客神社・左門客神社(国宝)>
本殿から前方に伸びる平舞台の先に「左楽房」と「右楽房」があって、その内側に「右門客神社」と「左門客神社」があるよ。
その脇には平舞台の飛び出た箇所「火焼前」と「燈籠」があって、その先に鳥居があるんだ。
右門客神社・左門客神社には、内側に「覆屋」があり、その覆屋に御祭神がお祀りされているの。
右門客神社・左門客神社の御祭神は以下の通り。
・右門客神社:櫛磐窓神(くしいわまどのかみ)
・左門客神社:豊石窓神(とよいわまどのかみ)
この神々は「天石門別神」とよばれ、門を守護する神様なんだ。
一説によるこの天石門別神が、御本社(本殿・拝殿・幣殿)を大波など海の災害から守護していると言われているよ。
<火焼前>
火焼前は平舞台が北側に突き出たところのこと。
火焼前の先端に石を積んだ台の上には青銅の灯籠があるよ。
昔は火焼前が桟橋の役割をしていて、神社にお参りするための舟をつけていたそう。
<右楽房・左楽房(国宝)>
右楽房・左楽房は安元2年(1176年)から鎌倉時代初頭にかけて、平清盛の寄進によって造営されたもの。
右楽房・左楽房は舞楽がある時に、楽を奏する場所。
左右あるんだけど厳島神社の楽房は舞楽の演目によって、使い分けされるんだ。
厳島神社で演じられる舞楽は
・インドや中国から伝わった舞楽「左舞」
・朝鮮半島から伝わった舞楽「右舞」
の2種類があって、種類ごとに分けて楽房が使用されるんだ。
左舞の時には「左楽房」で、右舞の時には「右楽房」で演奏されるよ。
<長橋(国重要文化財)>
長橋は、厳島神社で唯一、浜の中央部からの境内への出入り口になるよ。
現在は立ち入ることはできなくて、見学のみ可能になっているの。
長橋は本殿裏にかつて存在していたとされる「神饌を調理するための調理場所」から本殿の神前へのお供えの時に使用されていたの。
本殿裏の調理場所で神饌を調理した後に、長橋を通って境内に入り、大国神社へ供進後に本殿へお供えされていたんだって。
長橋は名前通り、境内で最も長い橋で長さ33m、幅は3m。
足元の礎石となる「束石」には下関から採石された赤間石が使用されているよ。
この束石は毛利輝元の寄進によるもの。
<反橋(国重要文化財)>
長さ約24m、幅4mで高欄は丹塗り、橋脚は墨塗りになっているよ。
鎌倉時代にはすでにあったものの、現存する橋は弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたもの。
反橋は別名「勅使橋」「太鼓橋」とも呼ばれ、天皇からの使者(勅使)だけがこの反橋を渡ることを許されていたんだって。
太鼓橋の名前の由来は、太鼓の胴部分を横から見た時のようなアーチ状の形状をしているからなんだ。
<能舞台(国重要文化財)>
厳島神社の能舞台は、日本で唯一海中に建てられている舞台なんだ。
慶長10年(1605年)に福島正則によって造営され、現在の能舞台は延宝8年(1680年)広島藩主浅野綱長により改修されたものだよ。
切妻造りで桧皮葺、笛柱が独立しているんだ。
海中にあるため、通常であれば床下に共鳴のために置かれている甕(かめ)がないのが特徴。
甕の変わりに、床下の根太が三角形になっていて、その上に床板を張って大きく響くように工夫されているよ。
能舞台では毎年4月16日から3日間桃花祭神能が行われるの。
舞台背景の鏡板には「老松」が描かれているよ。
厳島神社で踊りが奉納されるようになったのは、永禄11年(1568年)に毛利元就の命で観世太夫が舞楽を奉奏したのが始まり。
元々は、能は男性のみが舞う踊りだったんだけど、近年では女性の舞台への昇段も許されるようになり女性も舞うことができるの。
<大国神社(国重要文化財)>
大国神社の御祭神は「大国主命」
大国主命は、七福神の「大黒さん」の名前でも親しまれていて、出雲大社に鎮座している縁結びの大神「大黒主大神」だよ。
縁結びの神以外にも、「国造りの神」「農業の神」「商業の神」「医療の神」としても有名。
大黒主命は厳島神社の御祭神である田心姫命と湍津姫命の2柱の神様と夫婦となって子神を授かっているため、御本社に近い場所に祀られているそう。
拝殿の右側は、かつて神饌の仮案所になっているよ。
御本社裏の御供所から運ばれてきた神饌をここに置いて、そこから先は内侍が運び本殿にお供えしていたの。
<天神社(国重要文化財)>
天神社の御祭神は、学業の神様である菅原道真公。
創建は弘治2年(1556年)に毛利隆元によって寄進されたよ。
古くは「連歌堂」とよばれ、明治時代初期まではこの天神社で毎月連歌の会が催されていたそう。
連歌とは「五・七・五」で代表される短歌の読み出しの句と、読み終わりの句である「七・七」を組み合わせた歌のこと。
俳句の起源とも言われているよ。
素朴な社殿の造りになっていて、朱塗りの光り輝く厳島神社の社殿の中で能舞台と唯一、素木造りの社殿になんだ。
丹が塗っていない素木なのは社殿群の中では新しい建物だからなんだ。
天神社の本殿は、殿舎の奥に覆屋が設けられていて、その中に御神体が祀られて本殿とされているよ。
【厳島神社の住所とアクセス】
住所
〒739-0588 広島県廿日市市宮島町1−1
アクセス
- JR西日本 宮島口駅
- 広島電鉄 広電宮島口
など。
公式サイトより引用