仙波東照宮は童謡「あんたがたどこさ」の発祥の地?見どころスポットをご紹介♪
2023年7月23日日本三大五百羅漢のある徳蔵寺の別名はピンポン寺!名前の由来を徹底解説!
2023年12月31日埼玉県川越市にある喜多院は「川越大師」として知られているよ。
喜多院の見どころと言えば、日本三大羅漢の1つ「五百羅漢」が有名。
また境内には日本三大東照宮の1つである仙波東照宮もあるの。
ここで、喜多院の魅力に迫ってみよう。
目次
【喜多院とは?】
埼玉県川越市にある喜多院は、天長7年(830年)に慈覚大師が勅願所として創建したのが始まり。
境内にはたくさんの文化財や史跡があって、全国から数多くの参拝者が訪れる天台宗の寺院なんだ。
江戸時代初期には、徳川家康公の側近であった名僧天海大僧正が住職を務めていたよ。
そのことから、江戸城から移築された三代将軍・徳川家光・春日局のゆかりの建物など、多くの文化財を所蔵していることでも知られているの。
寛永15年(1638年)に起こった川越大火でそのほとんどが焼失してしまうものの、三代将軍・徳川家光公が江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築し、復興。
「家光誕生の間」と言われる客殿や、家光の乳母・春日局が使っていた化粧の間「書院」も見学できるよ。
【厄払い・厄除けが有名な喜多院の御利益とは?】
喜多院の御本尊は阿弥陀如来、その脇侍として不動明王、毘沙門天が安置されているよ。
喜多院の御利益は
・厄除け
・厄払い
・商売繁盛
・学業成就
・家内安全
などがあるよ。
【日本三大羅漢の1つ「五百羅漢」】
喜多院にある五百羅漢は、埼玉県川越市を代表する観光スポットの1つ。
日本三大羅漢の1つに数えられているんだ。
五百羅漢は1782年から1825年の50年をかけて建立されたもの。
中央高座には釈迦如来、左右には阿弥陀如来地蔵菩薩両菩薩が鎮座しているんだ。
十大弟子・十六羅漢や脇侍の文殊普腎の両菩薩など、538体の石仏がずらりと並んでいるよ。
羅漢様の表情は様々で、笑っている顔、怒っている顔、ひそひそ話している顔など様々なの。
また古くから川越では、石仏の頭を夜中にそっと撫でてみると、1つだけ温かいものがあると言われているそう。
それがその人の親の顔に似ているという伝説もあるんだって。
ちなみに五百羅漢を見るためには、参拝券が必要になるよ。
客殿・書院・庫裏の拝観券とセットで購入できるんだ。
【喜多院は桜の名所としても有名】
喜多院は桜の名所としても人気が高いんだ。
本堂の欄干からの眺めは、桜と朱塗りの多宝塔を見ることができる絶景スポットなの。
例年3月には、お彼岸辺りから枝垂れ桜・ソメイヨシノなど、様々な種類の桜を楽しむことができるよ。
【喜多院は小江戸川越七福神めぐりの1つ!】
喜多院は小江戸川越七福神めぐりの1つであり、七福神の財宝の神様「大黒天」も祀っているよ。
小江戸川越七福神を祀るお寺の中では最も大きい寺院なんだ。
小江戸川越七福神めぐりは、川越の七福神が祀られている7つの寺院を巡るもの。
全ての七福神を巡ることで、開運や祈願成就などの御利益が得られるよ。
ちなみに大黒天は、財宝の神様として
・財運
・縁結び
などと富に関するご利益をあやかれるよ。
【喜多院の見どころを徹底解説!】
喜多院の境内には五百羅漢以外にもたくさんの見どころがあるよ。
参拝時にぜひともチェックしておきたいおすすめスポットをまとめてみよう!
<慈恵堂>
喜多院の本堂にあたる慈恵堂は県指定有形文化財。
慈恵堂は「大師堂」として親しまれており、「潮音殿」とも呼ばれているの。
堂内には比叡山延歴寺第18代座主・慈恵大師と不動明王が祀られているよ。
「潮音殿」という名は、喜多院に残る伝承のひとつ。
昔この広いお堂の中で正座していると、静かなはずのお堂の中でザザザーという潮の音が聞こえたという言い伝えから名付けられたんだ。
寛永16年(1639年)に、川越大火の被害にあうものの、翌年には他よりも早く再建されたよ。
また慈恵堂の中には、国指定重要文化財に指定される貴重な文化財が残っているよ。
それが銅鐘なんだ。
・銅鐘
正安2年(1300年)につくられた銅鐘は、世界の平和と人々の安泰を願って、除夜の鐘として年に1回だけその音を聞くことができるの。
<山門>
喜多院最古の建造物である山門は、国指定重要文化財。
喜多院は寛永15年(1638年)の川越大火でそのほとんどが焼失してしまったんだけど、山門だけは焼けずに残ったの。
<多宝塔>
多宝塔は埼玉県指定有形文化財に指定。
寛永16年(1639年)に建立されて以来、移築と改修が繰り返されているよ。
高さ13mの多宝塔は、鮮やかな朱色に彩られた塔。
江戸時代初期らしい姿を今でも残していて、天辺の屋根は宝形造り、上層の建物は円形、下層は方形になっているよ。
<慈眼堂>
7世紀初頭につくられたとされる古墳の上にあるのが、慈眼堂。
徳川家と懇意にしていた天海僧正が、寛永寺に入寂された際に、徳川家光公の命によって建てられたといわれているの。
この慈眼堂は国指定重要文化財であり、御堂の中には天海僧正の木像が安置されているよ。
<客殿・書院・庫裏>
江戸時代に3代将軍・徳川家光公によって江戸城紅葉山の客殿・書院・庫裏が境内に移築されたの。
その建物は現在でも見学することができ、川越市や喜多院の歴史を知ることができる貴重な歴史博物館として機能しているんだ。
・客殿(家光誕生の間)
客殿は「家光誕生の間」と呼ばれており国の重要文化財に指定。
異なる大きさの部屋が6室あり、そのうちの12畳半の一室は上段の間になるよ。
江戸城にあった時に、この上段の間で3代将軍・徳川家光公が生まれたんだ。
床との違い棚や、襖や壁に墨絵で描かれた山水などがあるよ。
また上を見上げると81枚の彩られた花模様が天井に敷きつめられているんだ。
上段の間以外の部屋は、華やかな鳳凰と桐の壁画が設けられた仏間の一室もあって、歴史と江戸時代の文化を体感することができるの。
・書院(春日の局化粧の間)
書院は「春日の局化粧の間」と呼ばれており、こちらも国の重要文化財に指定されているよ。
江戸城紅葉山、現在の皇居の別殿から移築されたもので、江戸時代から現存する書院なんだ。
書院には8畳と12畳の部屋が2室ずつあるの。
8畳の部屋は喜多院に移築する前に江戸城にあった際、徳川家光公の乳母・春日局が使っていた部屋だったんだ。
・庫裏
客殿と書院につながる庫裏も国指定重要文化財なんだ。
<暦応の古碑>
慈眼堂の西側にあるのが、埼玉県指定史跡の「暦応の古碑」
喜多院の歴代の住職名が記されているよ。
ちなみに喜多院の歴代住職の名を記す資料は、この古碑の他には存在しないんだ。
<延文の板碑>
暦応の古碑の隣にあるのが川越市指定史跡の「延文の板碑」
沙弥(階層の低い僧)・尼の名が記されているよ。
<苦抜き地蔵尊(釘抜き地蔵尊)>
堂の改築を記念して昭和32年( 1957年)奉納された苦抜き地蔵尊は別名「釘抜き地蔵尊」とも呼ばれているよ。
その名の通り、人々の苦しみを抜き取ってくれると言われており、市民をはじめ多くの人々から親しまれているお地蔵様なんだ。
本堂の左側に赤・黄・緑のカラフルな旗で祀られているよ。
<川越七福神 大黒天>
慈恵堂の脇にある川越七福神 大黒天は、小江戸川越七福神「大黒天」が祀られている御堂のこと。
<どうぼうばし>
慈眼堂の裏にある階段を下った先にあるのが、どうぼうばし。
主に地元民が喜多院に出入りする際に使う裏口のような存在なんだ。
このどうぼうばしにまつわるエピソードがあるよ。
昔、御神領かつ江戸幕府の御朱印地でもあった喜多院と仙波東照宮は、敷地内で罪びとを捕まえることが出来なかったの。
そのことを知っていた盗賊は、町奉行たちの手から逃れるために、このどうぼうばしから境内に逃げ込むそう。
しかし盗賊は寺男たちによってあっけなく捕捉されてしまうんだ。
盗賊は寺の僧に諭されて改心。
その後も悪事を働くことなく、一生懸命まじめに暮らしたと言われているよ。
【喜多院の初大師とだるま市とは?】
喜多院では正月3日に初大師とだるま市が行われるよ。
初大師とは正月3日の厄除元三大師の御縁日のこと。
新しい年のはじめという意味の「初」に、慈恵大師の「大師」を表しているの。
初大師の日には、不動護摩供という厳粛な儀式で、開運厄除、家内安全、所願成就を祈願するんだ。
また、七転八起の縁起の良いだるま市が境内で開催され、新しい年の縁起物としてだるまを求める人が数多く参拝するよ。
【喜多院の住所とアクセス】
住所
埼玉県川越市小仙波町1丁目20−1
アクセス
電車でお越しの方
-
東武東上線・JR線 川越駅下車 徒歩約20分
-
東武東上線 川越市駅下車 徒歩約18分
-
西武新宿線 本川越駅下車 徒歩約15分
など
公式サイトより引用