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仙波東照宮は童謡「あんたがたどこさ」の発祥の地?見どころスポットをご紹介♪

仙波東照宮 拝殿 from wikipedia

埼玉県川越市にある仙波東照宮は、喜多院の境内にある東照宮。

三大東照宮の1つにも数えられている重要文化財指定の由緒ある神社なんだ。

今回は仙波東照宮の魅力に迫ってみよう。

 

 

【仙波東照宮とは?】

 

埼玉県川越市にある仙波東照宮は寛永10年(1633年)に建立。
喜多院第27世住職天海が徳川家康を祀った神社であり、日光東照宮・久野山東照宮とともに三大東照宮の1つと言われているよ。

徳川家康公の遺骸を久野山から日光へ運ぶ途中に喜多院により、天海僧正が法要をあげたそう。
その後、天海僧正は高さ五間の丘陵を築き上げ、立派な社殿を持つ仙波東照宮を造り上げたんだ。

 

しかし寛永15年(1638年)に川越大火災が起こり、仙波東照宮の神社・堂塔・門前屋敷まで全て焼失してしまったの。
現在ある建物は、寛永17年(1640年)に徳川家光公の命により再建されたもので、国の重要文化財にも指定されているよ。

 

仙波東照宮は日光東照宮と同じように彫刻が施されていて、かつて喜多院周辺の寺院は、喜多院(北院)・中院・南院の3つの支院で構成されていたの。

当初、中院は現在の仙波東照宮の位置にあったけど、徳川家康公の死後、喜多院境内に仙波東照宮を創建することになったため、中院は現在の場所に移転したんだ。
また南院は明治初頭の廃仏毀釈運動の影響により廃寺になり、現在は南院跡地に石碑や石仏が置かれているよ。

 

巫女レモン
巫女レモン
東照宮の彫刻はどれも見事ですよね〜♪

 

【仙波東照宮が創建されたワケとは?】

 

仙波東照宮が創建されたのは、仙波東照宮がある喜多院で法要が執り行われたからなんだ。
元和2年(1616年)4月17日に、駿府城で生涯を閉じた徳川家康公は、遺言どおり遺体は久野山に埋葬されたの。
1周忌後、家康公は日光へ移し祀られたけど、久野山から日光に移動する道中で喜多院に寄って、4日間にわたって法要が執り行われたんだ。

 

徳川家康公移葬が行われたのは、元和3年(1617年)3月15日のこと。
天海僧正率いる大行列が久野山を出発したの。
その数は1000人を超える大行列だったそう。

 

家康公を治めた神柩は金輿に移されて、御一行はきらびやかに装い、神の巡行を連想させるものだったんだ。
大行列は4月4日に日光に到着したけれど、19日間の移動の中で、4日間は埼玉県川越市仙波の喜多院に留まっていたの。

 

大行列を率いていた天海僧正は喜多院で住職を勤めており、4日間にわたる丁重な法要を行ったそう。
そのご縁から、元和3年(1617年)の9月16日に、喜多院の大堂に家康公の堂が祀られたんだ。
それが仙波東照宮の始まりとなるよ。

 

その後、寛永10年(1633年)11月16日に、天海僧正は喜多院の境内に社殿を創建。
大火災に見舞われたものの、江戸幕府三代将軍・家光公の計画により再建され、幕府からも手厚い支援を受けたよ。

 

巫女レモン
巫女レモン
4日間も長いですよね!

 

 

【仙波東照宮の御利益とは?】

 

仙波東照宮の御祭神は徳川家康公。

・出世開運
・商売繁盛

などの御利益にあやかれるよ。

仙波東照宮境内では開運だんごや出世みそおでんなど、縁起のよい食べ物が売られているからぜひチェックしてみよう。

 

 

【仙波東照宮は童謡「あんたがたどこさ」の発祥の地?】

 

仙波東照宮は童謡の「あんたがたどこさ」の発祥の地として知られているよ。

明治時代・戊辰戦争時に川越城に隣接する仙波山に駐屯していた兵士に子供たちが「どこからきたの」と尋ね、熊本藩出身の兵士が答える様子が歌詞になっているんだって。

また、歌詞に出てくる「船場山」が仙波山、狸が徳川家康公なのでは?と言う説もあるんだよ。

 

神主レモン
神主レモン
みんな知っている歌ですね〜全部の歌詞は歌えないけど、、

 

随身門 from wikipedia

 

 

 

【仙波東照宮の見どころを徹底解説!】

 

仙波東照宮の境内は決して広くはないものの、小規模ながらたくさんの見どころがあるよ。
ここでは仙波東照宮を訪れたら見ておきたいおすすめスポットをまとめてみよう!

 

<随身門(国指定重要文化財)>

仙波東照宮の玄関口である「随身門」は国指定の重要文化財。
朱塗八脚門・切妻造で、とり葺形銅板葺。
鮮やかな朱色の門をくぐると、本殿までのまっすぐな参道が伸びているよ。

八脚門とは三間×三間の門で、門柱4本の前後に各1本ずつの控柱を持っている屋根付きの門のこと。
以前は後水尾天皇の御染筆なる「東照大権現」の額が挙げられていたものの、現在勅額は拝殿内部に掛けられているんだ。

 

<石鳥居(国指定重要文化財)>

参道の途中に配置されているのが石造りの鳥居で、様式は明神鳥居。
寛永15年(1638年)に川越城主・堀田正盛が奉納したもの。
柱には「東照大権現御宝前」「寛永十五年九月十七日堀田正盛加賀守従四位下藤原正盛」の銘文が刻まれているよ。

 

<江戸城の手洗鉢>

拝殿の手前にある手洗鉢は、元々江戸城にあったもの。

 

<狛犬(埼玉県最古)>

拝殿前に並んでいる2対の狛犬も、手洗鉢と同様に江戸城から移設されたもの。
埼玉県内最古の狛犬とされているよ。

 

本殿と唐門 from wikipedia

 

 

 

<本殿(重要文化財)>

仙波東照宮の本殿は三間社流造・銅瓦本葺・極彩色。
寛永10年(1633年)に創建されたものの、5年後の寛永15年(1638年)の川越の大火により焼失。
寛永17年(1639年)に再建。

棟札によると、願主 家光、奉公 堀田正盛、大工 木原義久、 導師 天海僧正とあるよ。
本殿は敷地内へ立ち入ることはできず、正月や祭事がある時のみ開帳され内部を見学できるの。

 

本殿に安置されている宮殿は高さ76㎝で、中には家康公の木像が祀られているよ。
その姿は馬に乗り、甲冑を着けた勇ましい姿で、右手には剣、左手には薬壺を持っているの。
木像は家康公の遺骸を喜多院で法要した年(喜元和3年・1617年)に天海が彫作したものなんだ。

 

<拝殿・併殿(重要文化財)>

拝殿は桁行3間、梁間2間の単層入母屋造りで、正面は向拝1間あって銅板本葺。
拝殿の内部正面には後水尾天皇の御染筆「東照宮大権現」の勅額や、「三十六歌仙額」が掛けられているよ。

この勅額は天海がこの地に社殿をつくった寛永10年(1633年)に下賜されたものなの。
また拝殿内には重要文化財に指定されている「三十六歌仙額」も飾られているんだ。
この額は全てレプリカで、実物は埼玉県立博物館に保管されているよ。

 

併殿は桁行2間、梁間1間で、背面は入母屋造りで、全面は拝殿に接続していて銅板本葺なんだ。

 

<瑞垣及び唐門(重要文化財)>

本殿の周囲に巡らす瑞垣は、本瓦葺で透かし塀。
唐門は中央正面にあり、一間一戸の平唐門で銅瓦葺だよ。
本殿と共に国指定の重要文化財となっているの。

 

<石燈籠>

本殿前にある26基の石燈籠は川越歴代城主が奉納したもの。
石燈籠は各地の東照宮でも見ることができるよ。

 

<仙波東照宮葵庭園>

仙波東照宮葵庭園は、平成19年(2007年)5月にホタルの自生地を目指した事業をスタート。
清流を保つポンプの設置や、八つ橋の造営など池の護岸工事が行われたんだ。
葵庭園の池の島には弁財天厳島神社があるよ。

 

巫女レモン
巫女レモン
江戸時代を通じて社殿や神器等全て江戸幕府直営だった仙波東照宮です♪

 

 

【仙波東照宮の住所とアクセス】

 

 

住所

埼玉県川越市小仙波町1丁目21−1

 

アクセス

  • 西武新宿線本川越駅から徒歩で7分
  • 東武東上線・JR川越線川越駅から徒歩で6分
  • 関越自動車道 川越ICから車で15分