浅草寺へ参拝したらここは外せない!見どころスポットを徹底解説!
2022年12月28日上野公園内にある寛永寺は歴代徳川将軍6人が眠る菩提寺!
2022年12月28日東京都心のど真ん中にあるお寺と言えば「増上寺」だよ。
境内の背後には東京タワーがそびえていて「インスタ映えするお寺」としても人気を集めているんだ。
増上寺は徳川将軍家のお墓を守り続けるお寺なの。
今回は増上寺の魅力に迫ってみよう。
目次
【浄土宗の七大本山の1つ「増上寺」とは?】
東京のど真ん中の港区にありながら広大な敷地を誇る増上寺は、開山から600年の古い歴史を持つお寺。
山号は三縁山、三縁山広度院増上寺というよ。
室町時代の1393年に、現在の千代田区平河町付近に浄土宗第8祖・聖聡によって創建されたのが始まりなの。
増上寺は浄土宗の七大本山の1つ。
東日本における浄土宗の根本道場という役割を果たしていたよ。
1598年には現在の場所に移転し、江戸時代になると徳川将軍家の菩提寺として広く栄えたんだ。
【増上寺と徳川家との関係とは?】
徳川家は三河の松平家の時代から、浄土宗を厚く信仰していたの。
徳川家康が江戸に入る前に、松平家菩提寺の大樹寺に相談すると、増上寺を紹介されたんだ。
江戸城に拠点を移すと増上寺はすぐ近くにあって、家康は江戸での菩提寺に決めたそう。
現在の場所に移転したのは、家康が征夷大将軍になる前のこと。
徳川幕府は江戸城を護るために、増上寺を裏鬼門(南西側)、寛永寺を鬼門(北東)に配置したと言われているんだ。
荘厳なお堂が立ち並び、6人の将軍(2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14第家茂)に加えて2代秀忠の妻・江や皇女和宮の墓所もあって、貴重な寺宝を多数持っているよ。
ちなみに増上寺に造営された最初の将軍墓所は徳川秀忠の「台徳院霊廟」になるの。
戦前まではそれぞれ壮大な霊廟であったものの、戦災で焼失。
現在は「徳川将軍家墓所」にまとめて改葬しているよ。
徳川幕府は265年もの間、泰安の世を実現できたのは、この寺院に風水のパワーを施したためとも言われているの。
そのため、増上寺は東京随一のパワースポットとしても人気があるんだ。
【江戸時代には25万坪もの広さがあった?!】
増上寺は今でも広大な境内があるけれど、江戸時代の境内はなんと25万坪もの広さがあったそう。
増上寺の寺領は、将軍の霊廟が造営されるたびに拡張していったの。
現在ある三解脱門は表門に見えるけれど、本来は中門だったんだ。
明治初頭に政府によって寺領を縮小され、大門を東京府に寄付したそう。
全盛期の境内では、門内に48の子院、常時3000人もの修行僧がいたんだって。
修行僧のための学寮は100軒以上並んでいたよ。
【仏教建築と大都市のシンボル・東京タワーの共演】
港区芝にある増上寺では、仏教建築と大都市のシンボルでもある東京タワーを同時に撮影できると、SNSで話題になっているんだ。
広々とした境内で、大殿と東京タワーの共演を楽しめるよ。
増上寺から東京タワーは歩いて行けるほどの距離で、至近距離から東京タワーを眺められるスポットとして人気。
歴史あるお寺のバックに、近代的な建造物の象徴でもある東京タワーがそびえる景色は実に見事だよ。
また東京タワーからも増上寺はほぼ真下に見ることができるの。
東京タワーに上ったら、ぜひ増上寺を見てみよう。
【増上寺の見どころを徹底解説!】
広大な敷地を誇る増上寺の境内にはたくさんの見どころがあるよ。
今回は増上寺のおすすめスポットを徹底解説してみよう。
<三解脱門(さんげだつもん)>
増上寺の表の顔として有名なのが「三解脱門」なんだ。
1622年(元和8年)創建の三解脱門は、東京都内で最も古い建造物として国指定文化財にも指定されているよ。
間口19.5m、高さ21mと圧倒的な大きさを誇っているの。
江戸初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物でもあるよ。
三解脱門という名前は3つの異なる門「むさぼり・いかり・おろかさ」を連ねて1つの門として成り立っているところからきたそう。
・木造釈迦如来・両脇侍像(釈迦三尊像)
三解脱門の2階内部には釈迦3尊像と十六羅漢像が安置されているよ(非公開)
むさぼり・いかり・おろかさ!!(ドキッ!!)
<大殿>
増上寺の本堂である「大殿」には本尊「木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)」が中央に安置されているよ。
その両脇には法然上人と善導大師が鎮座しているんだ。
大殿内部は荘厳な雰囲気となっているの。
明治時代に2度の大火災に遭い復興するものの、東京大空襲によって再び焼失。
終戦後、1974年(昭和49年)に浄土宗大本山の念仏の根本道場として再建されたんだ。
大殿までの階段は25段あって、魂が成仏する際に極楽浄土から阿弥陀如来と一緒に迎えに来る25人の「二十五菩薩」を表しているそう。
・木造阿弥陀如来坐像
安国殿にある黒本尊と対比させて、木造阿弥陀如来坐像は「白本尊」と呼ばれているの。
増上寺では、白本尊と黒本尊はどちらも家康公の守り本尊として祀られているんだ。
金箔の下に白い胡粉が使われていたのが名前の由来となっているよ。
無限の光明・寿命を持っていて、無明の現生をあまねく照らす「光の仏様」なんだ。
<鐘楼堂>
鐘楼堂は寛永十年(1633年)に建立され、戦火により焼失し、戦後再建されたんだ。
東日本最大級を誇る大梵鐘が吊るされているよ。
この大梵鐘は江戸三大名鐘の1つにも数えられたんだ。
その音の大きさは江戸時代から有名だったそう。
<安国殿>
家康の院殿号「安国院殿」から名を取ったと言われる安国殿。
堂内中央には秘仏「黒本尊」が祀られているよ。
この黒本尊は元々、家康が毎日拝んでいた念持仏なんだ。
浄土教の基礎を築いた恵心僧都作と言われているよ。
ちなみには安国殿の瓦には徳川将軍家の紋をあしらった「三つ葉葵」が刻まれているの。
・黒本尊
黒本尊は2尺6寸(約80㎝)の仏像で、徳川家康が深く進攻しながら数々の戦に勝ち続けることができたのは黒本尊を信仰していたおかげとも言われているの。
本尊と形は変わらないものの、黒ずんでいてシルエットしか見えないため「黒本尊」と呼ばれているよ。
この黒本尊は悪事災難を一身に受け止めてくれ、「勝運黒本尊」として人々から信仰されているの。
たくさんの参拝客が訪れ、香煙で黒ずんでいることから御躰が黒くなったとも言われているよ。
ちなみに黒本尊を見られるのは、年に3回のみ。
1月15日、5月15日、9月15日に秘仏特別公開のために開帳されるよ。
<グラント松>
1879年(明治12年)にアメリカ第18代大統領であるグラント将軍が訪日した際に贈られた松のこと。
<光摂殿>
光摂殿は2000年(平成12年)に「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂・道場として建築されたの。
1階は講堂、3階は大広間を備えているよ。
光摂殿内にある108畳敷の大広間にある「天井絵」は圧巻。
格天井には日本画家120名が描いた草花図が奉納されていて、特別公開の時に見ることができるんだ。
<経蔵>
徳川幕府の女性によって建立されたのが経蔵。
内部中央に八角形の輪蔵を配する八間四面、土蔵造りとなっているの。
徳川家康公が寄進された「大蔵経」は国の重要文化財に指定されているよ。
大蔵経とはお経を総まとめした貴重な書物のこと。
家康公が熱心な仏教徒であったため、当時でも珍しい宋版、元版、高麗版の3つの「大蔵経」を集めることができたそう。
3時代の大蔵経が残っているのは、増上寺だけなんだって。
<大門>
増上寺の大門は、総門・表門にあたるの。
地名の由来ともなっている門で、芝大門交差点にあるのが「大門」だよ。
<千躰子育地蔵尊>
安国殿の右側にあるのが千躰子育地蔵尊だよ。
子供の健やかな成長や元気な姿を祈る人々の願いが込められたお地蔵様なの。
お地蔵様がずらりと並んでいる姿を見ていると、ほっこりとした気持ちになるよ。
<貞恭庵>
貞恭庵は、幕末時代を生き抜いた十四代将軍家茂の皇女・和宮ゆかりの茶室だよ。
<圓光大師堂>
圓光大師堂は法然上人の没後800年を記念して2011年に建てられたお堂。
<増上寺宝物展示室>
増上寺宝物展示室は増上寺の本堂地下1階に併設された美術館。
徳川家康公没後400年の平成27年4月に開設されたよ。
戦争で焼失してしまったとされる国宝「台徳院殿霊廟模型」をイギリス王室所蔵のもと展示しているの。
【増上寺の住所とアクセス】
住所
東京都港区芝公園4丁目7−35
アクセス
-
JR線・東京モノレール 浜松町駅から徒歩10分
-
都営地下鉄三田線 御成門駅から徒歩3分、芝公園から徒歩3分
-
都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅から徒歩5分
-
都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅から徒歩7分
-
東京メトロ日比谷線 神谷町駅から徒歩10分
など
公式サイトより引用