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千利休の切腹事件の原因は大徳寺にあり?京都有数の規模を誇る「大徳寺」の魅力を徹底解説

大徳寺 from google

 

京都には数えきれないほどのお寺や神社があるけれど、京都でも有数の規模を誇るお寺と言えば「大徳寺」があるよ。

大徳寺は24もの塔頭を有す禅宗寺院なの。

今回は千利休など茶の湯文化とも結びつきが強い大徳寺の魅力に迫ってみよう。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
あの千利休さんや一休さんとの深いつながりのあるお寺だよ

 

【大徳寺とは?】

 

京都市北区にある大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山。

歴史的価値のある国宝や重要文化財の建物・寺宝を数多く見どころたくさんの寺院なんだ。
ミシュラングリーンガイドにも登録されているんだよ。

 

24もの塔頭がある大徳寺は日本有数の規模と大きさを誇る禅寺。
大徳寺の見どころと言えば、一直線に連なる国宝や重要文化財の大伽藍なんだ。
歴史的価値のある大伽藍が立ち並ぶ境内は、圧巻の光景だよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
国宝もある大徳寺です♪

 

【大徳寺の歴史】

 

大徳寺は鎌倉時代末期の1315年、大燈国師の二つ名で知られる宗峰妙超により創建。
この宗峰妙超は、時の権力者であった花園天皇やご醍醐天皇からも厚い信頼を受けていた仏僧なんだ。
山号は龍宝山、本尊は釈迦如来だよ。

 

豊臣秀吉が織田信長の葬儀を大徳寺で営み、領地を寄進したのをきっかけに前田利家や細川忠興など戦国武将をまつる分院が相次いで建てられ隆盛を極めたんだ。
京都有数の広さを誇る大徳寺境内には24カ所の別院や塔頭が並んでいるの。

 

 

【これだけの規模を誇る大徳寺がなぜ京都五山に入っていないの?】

 

京都の禅寺の格付けでは京都五山が有名だよね。

しかし、大徳寺は日本有数の規模と大きさを誇る禅寺であるにも関わらず、京都五山には入っていないんだ。
その理由は「後醍醐天皇から厚い信頼を得ていたため」と言われているよ。

 

元々、大徳寺は後醍醐天皇より「この大徳寺は京都五山の各寺院よりも上位に位置する禅寺である」とお触れをもらっていたそう。

しかし、その後後醍醐天皇が敷いた建武の新政は崩壊し、足利尊氏による室町幕府が禅宗寺院を統括することになってしまうの。

その結果、禅寺の格付けは室町幕府の歴代将軍の好みによって決定されていったんだ。
ちなみに宗峰妙超の弟子が起こした妙心寺においても、同じ理由で京都五山に入っていないの。

 

同じ臨済宗寺院であっても京都五山の寺院は「叢林(そうりん)」、大徳寺派や妙心寺派の寺院は「山林派(さんりんは)」などと区別して呼ぶこともあるよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
大徳寺は別格だったんですね!!

 

伝・墨渓筆『一休宗純像』(奈良国立博物館所蔵)。1447年(文安4年)、一休が54歳の頃の作で、曲彔に座す一休は傍らに「朱鞘の大太刀」を立てる。上部は一休の自賛。 from wikipedia

 

【大徳寺は一休さんをはじめ数々の名僧を輩出!】

 

大徳寺では一休さんで有名な一休宗純(いっきゅうそうじゅん)など数々の名僧を輩出したお寺なんだ。
室町時代に起こった応仁の乱によって、大徳寺は一度荒廃してしまうの。

この危機を救ったのが、一休さんこと一休宗純だったんだ。
一休さんに経済的な援助をしていた堺の商人が大徳寺の復興を援助することになり、見事復活を遂げたよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
一休さんが危機を救って立て直したんですね!

 

【茶の湯との関わりが強い大徳寺】

 

大徳寺は茶の湯との関わりが深く「茶の湯の祖」とされる村田珠光や武野紹鴎、千利休などと所縁のある寺院なの。

境内には現在も、重要文化財に指定された茶室が多く残されているの。
これらは「大徳寺の茶面(ちゃづら)」とも呼ばれているよ。

 

千利休像 (長谷川等伯画、春屋宗園賛) from wikipedia

 

 

【大徳寺三門は千利休の切腹騒動ゆかりの場所!】

 

大徳寺は茶の湯文化を作った千利休が切腹騒動を起こした場所としても有名なんだ。
当時の大徳寺は茶の湯やその文化人との交流が非常に深く、千利休からも三門の修復の際に多額の寄付をもらっていたそう。

 

1589年に楼閣が完成すると、感謝した大徳寺は三門の楼上に千利休の木像を安置したんだ。
ところが豊臣秀吉が大徳寺を参拝した際に、その像の存在を知ってしまい立腹。
秀吉や高貴な人が通る三門の上に雪駄を履いた千利休の木像を置くという事は、高貴な人の頭を踏みつける行為と同じだと激怒したの。

 

そして1591年2月28日に秀吉の命によって聚楽第にある利休の屋敷で切腹をさせられたんだ。
つまり大徳寺の三門が千利休の切腹の原因となっているの。

 

もちろんこの三門に置かれた千利休の木像だけが切腹させられた原因ではないと言われているよ。
他にも茶道に対する考え方が対立していたことも要因の1つと考えられているの。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
このエピソードは有名ですよね。。。何かの映画でも取り上げていた気がします。。。

 

観音猿鶴図 南宋時代 牧谿筆 from wikipedia

 

【大徳寺の見どころだらけ!境内のおすすめスポットを徹底解説!】

 

広大な敷地の中に、たくさんの国宝や重要文化財を保有する大徳寺には見どころが山ほどあるよ。

大徳寺の本坊は、中国から伝わった禅式の建築様式に基づき、勅使門から三門・仏殿・法堂が一列に並んでいるの。
ここでは大徳寺本坊のおすすめスポットをまとめてご紹介するね。

 

勅使門 from wikipedia

 

<勅使門(重要文化財)>

大伽藍の列の一番南側に位置するのが、重要文化財指定の勅使門。
元々、皇居の南門であった建物で、後水尾天皇より下賜されたの。
江戸時代の寛永17年(1640年)に現在の場所に移築されたよ。

 

山門 (金毛閣) from wikipedia

 

<三門(重要文化財)>

大徳寺の三門は上下二層構造。
寺院の建築としては珍しい朱塗りの建物だよ。

下層部分は室町時代の大永6年(1526年)、上層部分は安土桃山時代の天正17年(1589年)に千利休の寄進によって完成。
千利休はこの三門を「金毛閣(きんもうかく)」と名付けたの。

金毛閣とは「衆生を導く立派な禅師」という意味があるそう。
三門の上層部には千利休切腹事件が起こった原因ともされる「千利休の木像」が安置されているよ。

 

大徳寺 仏殿 from wikipedia

 

<仏殿(重要文化財)>

創建当初の仏殿は、応仁の乱で焼失してしまったため、現在の建物は寛文5年(1665年)に京都の豪商であった那波常有の寄進により再建されたもの。
内部には御本尊・釈迦如来が鎮座しているよ。
また仏殿の天井には狩野元信が描いた雲龍図があるの。

 

<京都市天然記念物「イブキ」>

仏殿前にあるのは、仏殿再建時に植えられたとされていると京都市天然記念物のイブキ。
イブキは樹齢約350年でかなりの立派な巨木なんだ。
近くでみると歴史と生命力を感じられるよ。

 

法堂(はっとう) from wikipedia

 

<法堂(重要文化財)>

創建当初の法堂は、応仁の乱で焼失。
現在の法堂は、寛永13年(1636年)に小田原城主・稲葉氏によって再建されたもの。

ドーム状の天井に描かれた巨大な雲龍図は、狩野派を代表する絵師・狩野探幽によるもの。
躍動感あふれる龍の姿に圧巻されるよ。
龍の真下で手を叩くと、鳴き声のような音が聞こえることから「鳴き龍」とも呼ばれているんだ。

 

庫裏 from wikipedia

 

<庫裏(重要文化財)>

庫裏(くり)は寛永13年(1636年)頃に建立。
庫裏の奥には国宝の方丈や唐門、方丈庭園が広がっていて、本坊が限定公開されている時期にはこの庫裏から入場するんだ。

 

龍源院 方丈前庭 from wikipedia

 

<方丈(国宝)>

方丈は寛永12年(1635年)に建立。
住職の居住空間であった方丈は前後2列、左右4列の計8室をもつ特異な形式で、向かって右から2列目の2室は開祖・大燈国師の墓所である雲門庵となっているの。

方丈に開祖・大燈国師の墓所があるのは「私の死後、別寺院を建てる必要はない」という遺言によるものだそう。
玄関は京都の豪商・後藤益勝の寄進により再建。
法堂や仏殿などの伽藍が中国風なんだけど、この方丈は日本様式となっているんだ。

 

内部には加納探幽筆の障壁画である襖絵八十余面(重要文化財)が納められているよ。
代表作「山水図」など墨の濃淡で奥行きを表現しているの。
通常は非公開となっていて、特別拝観期間にのみ一般公開されているんだ。

 

瑞峯院 方丈前庭 from wikipedia

 

<方丈庭園(史跡・特別名勝)>

方丈庭園は、江戸時代初期を代表する枯山水庭園で国の史跡・特別名勝に指定。
方丈前庭は大徳寺の169世・天祐紹杲によって作庭されたもので一面に広がる白砂が印象的だよ。

中央には一対の盛砂を配置していて、築地堀沿いでは木々と石組で深山幽谷を表現。
石を七・五・三に配置した東庭は、小堀遠州の作庭と伝わっているの。
方丈と同じく、通常は非公開となっていて、特別拝観期間にのみ一般公開されているよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
素晴らしい出来ですね〜!

 

唐門(国宝) from wikipedia

 

<唐門(国宝)>

唐門は方丈前庭の南側に配置されている門のこと。
元々は豊臣秀吉が建立した聚楽第の門の1つであったものを、明治時代後期に現在の場所に移築したんだ。

 

国宝に指定されている唐門は日本に3つあり(全て京都)、その1つがこの大徳寺の唐門なの。
西本願寺と豊国神社の唐門と合わせて「桃山の三唐門」や「国宝三唐門」と呼ばれることもあるよ。

三門には龍や獅子、麒麟、鯉など至るところに豪華な彫刻が施されていて、1日中鑑賞していても飽きないことから「日暮門」との呼び名もあるそう。
破風の下には豊臣家の家紋がデザインされているからぜひチェックしてみよう!

 

<鐘楼(重要文化財)>

大徳寺の鐘楼は安土桃山時代の天正11年(1583年)に建立されたもの。

 

【大徳寺の住所とアクセス】

 

住所

京都府京都市北区紫野大徳寺町53

 

アクセス

阪急烏丸駅下車・市バス12系統のりかえ 大徳寺前停下車 など