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京都五山の序列第二位に位置する「相国寺」は、京都の観光名所として有名な金閣寺や銀閣寺の総本山にあたるんだ。
ここでは、相国寺の魅力に迫ってみよう。
目次
【相国寺とは?】
相国寺は室町幕府三代将軍・足利義満によって設立された臨済宗相国派の大本山のお寺で、正式名称は「萬年山相國承天禅寺」というよ。
足利将軍家や伏見宮家、桂宮家ゆかりの禅寺で、京都五山の第2位の由緒正しきお寺なの。
開山は鎌倉時代から南北朝時代、室町時代初期にかけて臨済宗の有名な禅僧・夢窓疎石だよ。
度重なる焼失を乗り越えて、1605年に再建された法堂は、日本最古の法堂建築として重要文化財にも指定されているの。
【相国寺の名前の由来とは?】
相国寺の「相国」とは国を助ける、治めるという意味があるの。
元々は中国から来た名称で、日本でも左大臣の位を「相国」と呼んでいたんだ。
相国寺を創建した足利義満は左大臣で、相国であることから、「義満のお寺」は「相国寺」と名付けられたの。
また義満の時代は中国・明の時代で、この時中国・開封に「大相国寺」という中国における五山制度の始まりのお寺があったそう。
この「大相国寺」の寺号を頂いて「相国寺」と名付けられたと言われているよ。
ちなみに中国・開封市には現在も「大相国寺」が存在していて、相国寺とは友好寺院の関係なんだ。
両寺院には友好の碑もあるよ。
【相国寺は臨済宗相国寺派の総本山】
相国寺は臨済宗相国寺派の禅寺で、初祖達磨大師が中国に伝えた禅宗を起源とする一派なの。
日本に伝わった禅宗は、相国寺の臨済宗の他にも曹洞宗、黄檗宗などがあるよ。
臨済宗は本来備わる純粋な人間性を、坐禅を通して自覚して悟ることを宗旨とする宗派なんだ。
【金閣寺・銀閣寺は相国寺の塔頭寺院】
あまり知られていないけれど、実は修学旅行の観光スポットとして定番の金閣寺、銀閣寺は相国寺の山外塔頭に当たるんだ。
相国寺は室町幕府3代将軍・足利義満によって創建されたけれど、金閣寺もまた義満によって創建されたの。
さらに銀閣寺はその後年、室町幕府8代将軍・足利義政によって創建されたよ。
足利歴代将軍が創建した禅宗寺院として、金閣寺や銀閣寺は本山である相国寺の塔頭寺院となっているんだ。
【相国寺は五山文学の中心地だった?】
相国寺は禅宗由来の五山文学の中心地として知られていて、画僧の周文や水墨画家・雪舟は相国寺出身の修行僧だったの。
ちなみに五山文学とは、鎌倉時代末期~室町時代にかけて禅宗寺院で行われた漢文学のこと。
その当時強大な力を保持していた足利家が禅宗を好んで庇護したことから、室町時代に禅文学や五山文学が栄えることになったんだ。
特に足利家の菩提寺であった相国寺は、如拙、周文、雪舟など有名な画僧がたくさん在籍していたの。
【相国寺のおすすめスポットを徹底解説!】
相国寺の境内には参拝時にぜひ見ておきたいスポットがいくつもあるよ。
ここでは相国寺のおすすめスポットを解説していこう。
<総門>
相国寺の門には、「総門」と総門に並んだ「勅使門」があるよ。
日常の門である「総門」に対して、「勅使門」は特別な時にのみ開けられる門なんだ。
現在の建物は、1797年に第113世梅荘和尚により復興されたもの。
2007年には京都府指定有形文化財に指定されているよ。
<勅使門>
禅宗の大寺院では、正面に総門と並んでもう1つ門を造る例が多いんだ。
勅使門は総門の西に並んで立っているよ。
通常時は閉じられている勅使門は「御幸門」と呼ばれることもあるんだ。
<天界橋>
放生池にかかる橋を「天界橋」と呼んでいるよ。
「天界」とは相国寺と禁裏御所との中間に境界線の役目をはたしているところから名づけられたそう。
<玉龍院>
相国寺第五世・雲溪和尚を開祖とする玉龍院は、1930年に現在の場所へ移転されたよ。
この玉龍院は足利義満が雪村友梅禅師の法嗣太清宗渭を相国寺に迎え入れるために、その禅室として創建されたの。
<光源院>
相国寺二十八世・元容和尚の塔所である光源院は、1421年(応永28年)に創建されたもの。
本堂の仏間十二面の襖には日展特選作家・水田慶泉画伯が構想を練って、約半年がかりで描き上げたと言われる干支を配した襖絵が描かれているの。
この袴絵は禅宗寺院には非常に珍しいものだよ。
<林光院>
林光院は、足利三代将軍・義満の第二子である四代将軍・義持の弟義嗣が、応永25年(1418年)1月に25歳の若さで他界したため、その菩提を弔うために建てられたよ。
夢窓国師を勧請開山として、紀貫之の屋敷の旧地に開創されたんだ。
<洪音楼>
相国寺の鐘楼は「洪音楼」と呼ばれているよ。
天明の火災で焼け、1789年(寛政元年)4月に古鐘を買って仮楼にかけ、1843年に現在の層楼を造ったそう。
「洪音楼」は「袴腰付鐘楼」とも呼ばれているんだ。
<法堂>
法堂は1605年(慶長10年)に豊臣秀頼の寄進によるもの。
5回の再建を繰り返しており、わが国法堂建築の最古のものと言われているよ。
正面は28.72m、側面は22.8mもあり、堂々とした佇まいが印象的なんだ。
法堂でぜひ見ておきたいのが、狩野光信作の「幡龍図」だよ。
木造の天井に巨大な龍がうねりながら躍動している姿はまさに圧巻。
龍の鱗も生々しく表現されていて、迫力を感じることができるよ。
また相国寺の龍は「鳴き龍」と呼ばれていて、幡龍図の下でパンっと大きく手を叩くとお堂内に「パーン」と音が響き渡るんだ。
ぜひ法堂を訪れた際には、鳴き龍の真下にあるスペースで、手を叩いてみよう。
<方丈>
相国寺の方丈は、造りは一重、入り母屋造りで、桟瓦葺き、切妻造りとなっているよ。
桁行25m、梁間16mあり、方丈としては大規模な建築。
2007年には京都府指定有形文化財にもなっているよ。
禅宗の伽藍の配置は南北に山門、仏殿、法堂、方丈が同一軸線上に並んで建てられているのが特徴なの。
相国寺も同じように、法堂の北側に方丈が建てられているんだ。
相国寺の方丈は、初建以来何度も焼失していて、現在の建物は天明の大火を経て1807年(文化4年)に開山堂や庫裏と共に再建されたものだよ。
<裏方丈庭園>
方丈の表には白砂が美しい枯山水庭園が広がっていて、方丈裏にある裏方丈庭園では紅葉を楽しむことができるんだ。
手前を彫って谷川を見立てて、対岸を山とした深山幽谷の雰囲気を感じられるお庭になっているよ。
<開山堂庭園>
開山堂は開山夢窓国師の木像を安置しているお堂のこと。
この開山堂は法堂の東にあり、境内で最も大切なところなんだ。
現在の建物は江戸時代末期に桃園天皇の皇后・恭礼門院の黒御殿を賜って1807年に移築・増築や一部改造を行ったものだよ。
相国寺でした!
【相国寺の住所とアクセス】
住所
京都府京都市上京区相国寺門前町701
アクセス
地下鉄烏丸線『今出川駅』下車
など。
公式サイトより引用