豊臣秀吉が制定した惣無事令とは?信長の野望 大志で知った人も多いはずの法令を解説
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2020年5月11日
秀吉は喧嘩停止令と呼ばれる法令も制定していたんだ。
秀吉が制定した法令といえば「刀狩令」が有名だから、喧嘩停止令についてよく知らない…という人もいるかな?
今回は喧嘩停止令の内容を簡単にまとめてみるね。
目次
【喧嘩停止令ってなに?!】
喧嘩停止令は、農民の武力行使を制御することを目的とした法令のことなの。
ただ、秀吉が制定した喧嘩停止令に関しては、いまだに詳細はよく分かっていないんだ。
様々な文献からの「判例」という形で、喧嘩停止令という法令が存在していたという事実は記されているんだけど、どのような法令なのか?いつ制定されたのか?など肝心な部分は謎な部分も多いんだって。
判例が用いられた最も古いのは1587年で、1588年春に制定された刀狩令や海賊禁止令よりも前に成立していたのでは?と言われているよ。
【刀狩令の強化として喧嘩停止令は制定された?】
一説によると、喧嘩停止令は刀狩令の強化として制定されたと言われているんだ。
秀吉が出した刀狩令では、すべての農民の武器を没収することが表明されていたの。
けれど、実際には武器の所持を禁じたというよりも、帯刀権や武装権の意味合いが強かったみたい。
村々には多くの武器が留保されていたとも言われているんだ。
そのため、武力を行使した騒乱の可能性はあって、そうした前提のもとに騒乱を禁止する目的で喧嘩停止令は制定されたと考えられているよ。
【喧嘩停止令が失敗したから刀狩令ができた?】
先ほど紹介した一説では、刀狩令をより強化するために喧嘩停止令はできたと話したね。
しかし、別の一説では、喧嘩停止令が上手くいかなかったから、秀吉は刀狩令を制定したとも言われているんだ。
秀吉は喧嘩停止令を発令したものの、血なまぐさい事件はそれほど減ることはなかったと言われているの。
喧嘩停止令は法律というよりも、判例集に近かったため、抑止力にはならなかったんだって。
そのため、秀吉はより確実に私闘を防ぐために、刀狩令を作ったのでは?と言われているよ。
実際のところどちらが本当なのか、謎のままなんだ。
喧嘩停止令が刀狩令より早く制定されているかどうかも、よく分かっていないよ。
【喧嘩停止令は江戸時代にも制定された?】
秀吉が制定した喧嘩停止令とは別に、江戸時代には徳川秀忠・徳川家光らが制定した「徳川の喧嘩停止令」というものもあるんだ。
徳川秀忠の喧嘩停止令が制定されたのは1610年(慶長15年)で、発生していた判例から判断すると、秀吉の喧嘩停止令を成文法として継承したものだったと考えられているよ。
さらに徳川の喧嘩停止令は徳川家光の時代の1635年(寛永12年)に再令として定められ、徳川の基本法の位置を占めるようになったんだ。
ちなみに家光が制定した喧嘩禁止令は、徒党禁令から持ち込まれた法令が従来法に加わった上で定められたよ。
その後も江戸時代には喧嘩禁止令の制度は繰り返し公布され、次第に村々に浸透していったの。
武力行使の自粛にもつながったと言われているよ。