日本三大八幡の1つ京都「石清水八幡宮」は日本屈指の厄除け神社
2022年4月10日日本三大八幡宮の1つ「筥崎宮」には蒙古襲来の伝承が残るスポットがたくさん!
2022年4月19日日本三大八幡の1つで、厄除け神社としても知られている京都の石清水八幡宮。
この石清水八幡宮の社殿は国宝にも指定されていて境内には見どころがたくさんあるの。
今回は、石清水八幡宮でぜひとも訪れておきたいおすすめスポットをまとめてみよう。
目次
【貴重な「八幡造」の社殿】
創建以来、何度か再建を繰り返し、現在の社殿は1634年(寛永11年)に徳川3代将軍・徳川家光が修造したもの。
石清水八幡宮の社殿は、10棟が1つの建物のように組み合わされているの。
中心部となる本殿は「八幡造」という建築様式になっているんだ。
この八幡造は、内殿と外殿という2つの棟が前後に並び、横から見ると屋根がM字型に見えるのが大きな特徴なの。
石清水八幡宮の本殿は、現存する八幡造の中では、最古かつ最大規模の大きさを誇っていて、とても貴重な社殿形式なんだ。
廻廊に囲まれた社殿の内部はとてもきらびやかで2005年から始まった「平成の大修造」によってより鮮やかによみがえったよ。
本殿の桧皮葺屋根の軒が接する内殿と外殿の「相の間」には、織田信長が寄進した「黄金の雨樋(あまどい)」が架けられているからぜひチェックしてみよう。
外観が非常に立派な石清水八幡宮の社殿だけど、内部も見どころ。
内部を拝観できる昇殿参拝がおすすめだよ。
昇殿参拝では、神職さんの案内で社殿の見どころや歴史を伺うことができるの。
社殿内部の欄間(らんま)や瑞籬(みずかき、垣根のこと)には驚くほど多くの彫刻が施されていて、その数は150点以上。
八幡大神様のお使いであるハトやカマキリ、天人、ブドウ、鶴など、様々な動物や植物を見ることができるよ。
【社殿は平成28年2月9日に国宝に指定】
石清水八幡宮の、本社10棟、附 棟札3枚は平成28年2月9日に国宝に指定されたんだ。
古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い神社建築として高い価値を有していることが評価されたの。
徳川三大将軍・徳川家光造営による現在の社殿は、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廊だよ。
【石清水八幡宮の見どころスポットを徹底解説!】
国宝に指定されている社殿の他にも、石清水八幡宮の境内にはたくさんの見どころスポットがあるよ。
ここでは、参拝したらぜひともチェックしておきたいスポットをまとめて紹介するね。
<一ノ鳥居>
一ノ鳥居は、表参道入口に立っている石清水八幡宮の顔とも言える建造物。
高さは約8m、最大幅は約11mの花崗岩製だよ。
紺地に金文字で「八幡宮」と書かれた額は、寛永の三筆と称された松花堂昭乗が1619年に書写したもの。
「八」の字は、鳩が一対向かい合い、顔だけを外に向けた独特のデザインとなっているんだ。
ぜひ見てみてね。
<頓宮>
山麓に佇む頓宮殿は、重儀が斎行される社殿。
年に一度の「石清水祭」では、本殿から神様が還られる重要な社殿なんだ。
1868年に起こった鳥羽伏見の戦いで一度は焼失し、現在の社殿は大正4年(1915年)に造営されたもの。
「平成の大修造」によって、桧皮葺であった屋根は銅板葺に葺き替えられたよ。
<樹齢700年のクスノキ>
社殿横にあるクスノキは、建武元年(1334年)に楠木正成が必勝祈願参拝の際に奉納したもの。
樹齢約700年と言われていて、京都府指定天然記念物でもあるんだ
<五輪塔>
一ノ鳥居の奥には、日本最大級の石造塔である「五輪塔」が建立。
<高良神社>
高良神社は、鎌倉時代末期に兼好法師が著した随筆「徒然草」にも登場する古社。
「徒然草」の中では、仁和寺のある法師が高良神社を石清水八幡宮の社殿と勘違いして、そのまま帰ってしまった。というお話が記されているの。
高良神社境内にある樹齢約700年のタブの木は「厄除けの木」として知られていて、地元の方々から大切にされているんだ。
<松花堂跡>
松花堂跡は、江戸時代初期に石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗が営んだ草庵「松花堂」と宿坊「泉坊」が建っていた場所。
松花堂昭乗は、真言密教を究めた高僧でありながら、絵画や茶道に秀でた文化人としての一面もあったの。
近衛信尹・本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称されていたよ。
草庵は明治の神仏仏離によって松花堂庭園・美術館に移築。
ちなみに「松花堂弁当」は、松花堂昭乗が使っていた器をヒントに、吉兆の創業者である湯木貞一が編み出したものなんだ。
<石清水社・石清水井>
石清水八幡宮の名前の由来となったのが石清水社だよ。
石清水八幡宮が創建以前からの聖地なんだ。
この石清水社には、霊水「石清水」が湧き出ていて、日照りの時にも涸れず、厳しい冬にも凍らなかったとして、パワースポットとして人気を集めているの。
ただ水をもらうことはできないから、注意してね。
神社の祭典の際には、当日早朝にくみ上げた石清水を御神前にお供えするのが習わしになっているそう。
<一ッ石>
競馬の出発地点であり、「勝負石」とも呼ばれる勝負必勝・勝運の石のこと。
お百度参りの地点ともされているよ。
<書院石庭>
京都を代表する名作庭家・重森三玲による枯山水。
石清水八幡宮の海神信仰にちなんで、海洋が表現されているんだ。
<築地塀>
通称「信長塀」ともいわれる社殿を囲む土塀のこと。
織田信長公寄進と伝わっていて、瓦と土を幾重にも重ねることによって、銃撃や耐火性、耐久力に優れていたとされているよ。
<鬼門封じ>
東北の角が切りとられている石垣のこと。
牛の角を持ち、トラの皮を身にまとった鬼が来ると言われる丑寅の方角「鬼門(東北)」を封じるために、社殿の石垣を切り取った造りになっているんだ。
<目貫きの猿>
一説には伝説の名工・左甚五郎の作といわれる彫刻。
<黄金の雨樋>
天正8年織田信長が寄進したとされる雨樋。
通常は非公開となっているよ。
<永仁の石燈籠>
南総門前の参道には、石燈籠が並んでいて、荘厳な雰囲気を醸し出しているよ。
鎌倉期に作られた永仁の石燈籠は、境内にある450基ほどの石燈籠の中でも最も古く、唯一の重要文化財に指定されているんだ。
<影清塚>
参拝前に己の影を映して、心身を祓い清めた場所と言われているよ。
<源頼朝ゆかりの松「頼朝松」>
二ノ鳥居の前には源頼朝ゆかりの松「頼朝松」があるよ。
頼朝が49歳の時に、石清水八幡宮を参拝し、鎌倉から6本の松を持参して当地に植えたそう。
その帰りには、石清水八幡宮から持ち帰った松を神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮に植えたと伝えられているんだ。
6本松のうち生き残っていた1本が昭和22年(1947年)に落雷で焼失。
昭和30年に2代目の松が奉納されたよ。
<くじ運の御利益があるとされる「大扉稲荷社」>
石清水八幡宮の表参道の登りの中腹にある朱色の社が「大扉稲荷社」だよ。
創建は文政12年(1829年)と言われているの。
その当時、富くじが流行しており、この稲荷社に祈った人がその霊験によって富を得たことが伝わると、信者が急増。
その寄進によって建立されたんだ。
けれど、その祭神の名を知る人はおらず、古記にも伝えられていなかったそう。
そこで京都七条の高瀬川側で吉凶占いなど神告を生業としていた者が「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」とのお告げを受け、その神の名を知ることになったと言われているよ。
そこから大扉稲荷社は「お扉さま」と呼ばれて篤く信仰されるようになったんだ。
現在では「宝くじにご利益がある」と静かなブームとなっていて、くじ運をアップしたい人が参拝されているよ。
【石清水八幡宮の住所とアクセス】
住所
京都府八幡市八幡高坊30
アクセス
京都方面から
京都駅から近鉄電車「丹波橋駅」
あるいはJR「東福寺駅」のりかえ
京阪電車「石清水八幡宮駅」下車
参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分
大阪方面から
地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」
あるいはJR環状線「京橋駅」からそれぞれ連絡のりかえ
京阪電車「石清水八幡宮駅」下車
参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分など
公式サイトより引用