日本最古級の社・大和神社は戦艦大和ゆかりの神社?
2021年12月15日由緒ある吉水神社は日本一犬にやさしい神社!ペットの七五三祈祷もしてくれる!!
2021年12月20日
奈良県・吉野にある吉水神社は、源義経が弁慶や静御前らと身を隠した、後醍醐天皇の行宮であった、豊臣秀吉が花見の本陣としたなど歴史的な逸話が数多くある神社なんだ。
ここでは歴史的著名人と縁がある吉水神社についてまとめてみよう。
目次
【世界遺産の1つである吉水神社】
吉水神社は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の1つとしてユネスコ世界遺産に登録されている神社なんだ。
天武天皇の白鳳年間に役行者によって建てられたとされていて、春は桜の名所としても知られているよ。
かつて、吉水神社は金峯山寺の格式の高い修験宗の僧坊であり、「吉水院」という名の寺院だったんだ。
しかし明治時代に、新政府による神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治8年に「吉水神社」という名称に改めたんだよ。
吉水神社の主祭神は、後醍醐天皇、南朝方の忠臣だった楠木正成(くすのきまさしげ)、吉水院宗信法印(よしみずいんそうしんほういん)が祀られているの。
【日本住宅建築史上最古の書院がある】
吉水神社にある書院は、日本住宅建築史上最古の書院として、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとしてユネスコより世界遺産に登録されているんだ。
厳かで落ち着いた雰囲気の書院では、鎌倉時代初期・白鳳年間の書院建築技術の歴史を感じることができるよ。
この書院には、最古の床の間、広い面取の最古の柱、中世風の建棚、木製で細工された釘隠しなど、珍しい手法で造られているんだ。
実はこの書院には歴史的な逸話がたくさんあるんだよ。
次に書院内の展示についてまとめてみよう。
<展示①吉水神社の日本最古の書院は「源義経・静御前が潜伏した居の間」>
文治元年、雪が降る12月に、源義経は妾であった静御前と弁慶たちと、寺院であった吉水神社を頼ってやってきたんだ。
鎌倉幕府を開いた兄・源頼朝とともに義経は壇ノ浦で平氏を倒し、大きな貢献をしたことは有名だよね。
しかし平氏との戦い方や官位を兄・頼朝の許可なくもらったことなどから、兄弟の間には大きな亀裂が入ってしまうんだ。
義経に激怒した頼朝は全国に義経捕縛の命令を下し、義経は追われる身となってしまうの。
その身を追われた義経は山伏の姿に身を変えて、当時寺院であった吉水神社に5日間ほど静御前や弁慶たちと身を潜めたと言われているよ。
歌舞伎や浄瑠璃で有名な「義経千本桜」の本舞台はここなんだ。
また右手一畳敷の控えの間は「弁慶思案の間」と呼ばれ、弁慶がここで見張りをしながら一世一代の秘策を思案していたと伝えらえているの。
吉水神社を後にした義経は、静御前に京に戻るように言いつけ、吉野で悲しい別れをすることになるよ。
しかし京に戻る途中、静御前は頼朝がよこした山僧に捕らえられて、北条時政に引き渡されてしまうんだ。
この時、静御前は義経の子を身ごもっていて、生まれた子が男の子だったため赤ん坊は由比が浜に沈められてしまうの。
一方、義経は、頼朝の命を受けた藤原泰衡により暮らしていた衣川館を襲われ、正室であった郷御前と4歳の娘を殺害後、自らも自害したよ。
(特徴)
・床の間:間口の広く奥行きの浅い特殊な構造となっていて、類例のない最古の床とされる。現在の床の間の元祖とされている。
・違棚:上下の間を束で支えない方法で珍しい。
・柱:全ての柱が両取柱で、四寸角に八分の面がある。この面の広さによって年代の深さが分かり、書院の柱では最も広い面取となっている。
・釘隠:六葉型の釘隠は鉄や銅を使われるのが一般的だが、この書院の釘隠は全て木で作られている
・天井板:特殊なヤリ鉋削りで作られている
・鴨居:長押に直接3本の桟木を打ち付けた初期の鴨居となっている。
(書院内展示物)
・源義経の鎧(色々威腹巻):重要文化財
・義経の鞍
・義経の鎧
・弁慶思案の間
・弁慶の小手
・弁慶の七つ道具(弁慶の武装槍)
・静御前の鎧
・佐藤忠信の兜
など
<展示➁吉水神社の日本最古の書院は「後醍醐天皇の行宮」>
現在の京都御苑敷地内にある、当時の平安京に存在した「花山院」に幽閉されていた後醍醐天皇は、延元元年に花山院からお忍びで吉野に入ったんだ。
その後、吉水院宗信法印の援護のもと、北朝の皇帝「京都朝廷」に対抗して南朝の皇帝「吉野朝廷」を自ら開いたの。
さらに、吉水神社(吉水院)を南朝の皇居としたんだ。
南北朝時代の4代57年の歴史はここから始まり、吉水神社の書院は、現存する唯一の南朝の行宮となっているよ。
この部屋は、「後醍醐天皇玉座」と呼ばれているの。
後醍醐天皇玉座は典型的な桃山式書院であり、上段の間五畳と下段十畳敷で構成。
桃山期特有の帳台構に模様替えを施した書院で、当時の完成された豪華な書院造の様式と風格が示されているよ。
この書院は御所造となっていて、皇室特有の気品高い飾り気の少ない清潔な要素が残されているんだ。
後醍醐天皇は、建武の新政に力を注いで、最後まで北朝の皇帝に対抗したものの、王政復古の夢を果たすことなくこの吉野の土地で病気のため亡くなってしまうんだ。
(特徴)
・床の間:正面右手に正床を用い、左手に並んで浅い脇床を使用した変わった構造をしている。正面には違棚を備えない御所造りの特色を表している。
・西楼棚:上段側に設けた棚は拡張高い西楼棚を使用。上下を支えた束は唐草模様の細工で優美で上品な作りとなっており、全国的にも珍しい手法を残している。
・障壁画と屏風:障壁画と屏風・正面に張られた障壁画は狩野永徳の作品。屏風は狩野山雪の作品である。
(書院内展示物)
「後醍醐天皇御物」と呼ばれる御製色紙や、三五中録第二の巻、お茶台、陣羽織、竹文台硯箱、石硯、羊皮太鼓、金輪寺茶入、矢筒、楠氏系図、毘沙門天像など後醍醐天皇と縁が深い物が数多く展示している。
<展示③吉水神社の日本最古の書院は「太閣・豊臣秀吉の花見の本陣」>
文禄3年、太閤・豊臣秀吉は吉野の桜をとても愛しており、この地で盛大な花見の宴をしたそう。
その際に、この吉水神社の書院を本陣として、数日間滞在したんだ。
歌の会や、お茶の会、お能の会などを開き、満天下に権勢を示したそう。
一世の英雄が春を謳歌する豪傑な一面を、展示された豪華絢爛な寄贈物などから感じることができるよ。
(書院内展示物)
・豊太閤愛用金屏風「竹の図」(狩野山雪筆)
・豊太閤愛用金屏風「桜の図」(狩野永徳筆)
・袴絵「群鶴」(狩野山雪作)
・豊太閤「吉野之花見図」複製
・袴絵「鷹」(狩野山雪作)
・湯釜(秀吉公寄贈)
・青磁の壺、花瓶(秀吉公寄贈)
・室町・桃山時代能面十二点
など
<展示④文化財・宝物展>
吉水神社の書院には、以下のような数多くの著名人が残した貴重な品々が展示されているよ。
・修験道の祖であり呪術者であったと伝わる「役行者の像」
・一休さんで有名な「一休和尚の墨書」
・後醍醐天皇の所持品であった「蝉丸の琵琶」
・弘法大師・空海の作である「灰佛弁財天」
時代の移り変わりの中で兵火を免れて大切に残されてきた文化財は、昔のままの書院の中で展示されているんだ。
奈良・吉野の歴史に浸ることができるからおすすめだよ。
(書院物その他展示物)
・佐々介三郎(助さん)の書代
・蝉丸の琵琶(後醍醐天皇所持)
・灰佛弁財天(弘法大師 空海作)
・水戸光圀公の書状
・十三佛画像
・一休和尚(一休さん)の墨書
・千体地蔵(小野篁筆)
・茶枳尼天(伝教大師 最澄作)
・本居宣長の書
【住所とアクセス】
住所
奈良県吉野郡吉野町吉野山579
アクセス
近鉄吉野駅からロープウェイで3分
近鉄 吉野駅よりロープウェイ山上(吉野山駅)から 徒歩約15分