本殿を持たない神社・大神神社で、絶対に訪れておきたいおすすめスポットを徹底解説!
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奈良にある唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山で、苦難の末に日本にやってきた唐僧・鑑真和上によって建立されたお寺なんだ。
ここでは唐招提寺の魅力に迫ってみよう。
目次
【唐招提寺は鑑真和上発願による私院であった?】
唐招提寺は、唐の僧・鑑真和上によって建立されたお寺だよ。
鑑真和上は聖武天皇に招かれ、12年にわたって多くの苦難の末に来日を果たし、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で5年過ごしたの。
東大寺を引退した後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759年)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として「唐律招提」を創建したのが始まりなんだ。
唐招提寺の大きな特徴の1つが「私寺」であったこと。
奈良の大きなお寺のほとんどは勅願(天皇の命令)によって建てられた官寺(国家の監督を受ける代わりに国家から経済的保障を与えられたお寺)であったのに対して、唐招提寺は鑑真和上が発願した私寺であったんだ。
私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅地を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけだったの。
鑑真和上が亡くなった後8世紀後半に、鑑真の弟子であった如宝の尽力によって金堂や東塔が建立され、平安時代初頭には伽藍全体が完成したんだ。
そのころには「唐律招提」の名から「唐招提寺」となったと言われているよ。
唐招提寺の荘厳な美しさは、奈良時代の代表的な建築物として広く知られているんだ。
【唐招提寺を創建した唐僧・鑑真大和上とは?】
鑑真大和上は、唐・揚州に生まれ、14歳で出家。
洛陽・長安で修業を積み、713年に故郷・大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されたんだ。
742年に、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡、普照から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受けて、渡日を決意することになるよ。
その後の12年間に5回の渡航を試みて何度も失敗。
次第に視力を失うこととなったものの、753年ついに6回目の渡航で日本にたどり着いたんだ。
日本に来た鑑真大和上は、76歳までの10年間のうち5年間を東大寺、残りの5年を唐招提寺で過ごされたの。
そこでは天皇をはじめとし、多くの人たちに授戒をされたんだ。
【唐招提寺は学業成就にご利益あり?】
唐招提寺は苦難の末に日本にやってきた鑑真和上が建立したため、学業成就にご利益があると言われているんだ。
学業成就を祈願するために、多くの学生が参拝に来ているんだよ。
受験生はぜひとも訪れておきたいね。
【唐招提寺のおすすめ参拝スポットとは?】
唐招提寺には奈良時代建立の金堂、講堂をはじめとし、多くの国宝、重要文化財があるよ。
ここでは、唐招提寺にあるおすすめ参拝スポットをまとめてみよう。
<金堂(国宝)>
南大門をくぐった正面に荘厳な姿を見せる金堂は天空に跳ね上がるような美しい屋根のフォルムが魅力的なんだ。
8世紀後半の創建時の姿をそのまま残す代表的な建築物だよ。
正面間口七間、奥行き四間の寄棟造。
金堂を参拝する時には、金堂鴟尾(こんどうしび)にも注目してほしい!
金堂の屋根に上げられて2体の鴟尾のうち、西側は天平時代、東側は鎌倉時代の作になるよ。
堂内には中央に本尊・盧舎那仏坐像、向って右に薬師如来立像、向って左に千手観音立像が安置されているんだ。
これらは全て国宝に指定されているの。
・本尊・盧舎那仏坐像(国宝)
本尊の高さは3mを超えており、光背の高さは5.15mにも及ぶ巨像。
奈良時代に盛んに用いられていた脱活乾漆造だよ。
背後の光背の化仏の数は862体あるんだけど、本来は1000体であったと言われているの。
・薬師如来立像(国宝)
薬師如来立像は本尊に向かって右側に安置される立像で、高さは3,36m。
本尊や千手観音像にやや遅れて、平安時代初期に完成されたと言われているの。
伏し目がちな表情で重厚感のある印象があるよ。
・千手観音菩薩立像(国宝)
本尊に向かって左側に安置されているのが千手観音立像だよ。
この千手観音菩薩立像は奈良時代に作られたもので高さは5.26mで、実際に1000本の手を再現しようとした珍しい仏像なんだ。
本来は1000本あったとされるんだけど、現在は953本(大脇手42本、小脇手911本)になっているよ。
1000本の手を再現したその姿は圧巻なんだ。
全体的にはのびやかな印象があり、涼し気な目鼻立ちをしているよ。
金堂にはその他にも四天王立像、持国天立像、増長天立像、広目天立像、多聞天立像、梵天・帝釈天立像などの国宝も安置されているんだ。
<講堂(国宝)>
講堂は、平城京の東朝集殿を移築・改造したもので開放的な空間となっているのが特徴。
平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代に改造されたものなの。
天平時代、平城宮の面影を残す唯一の建築物として、非常に貴重な存在なんだ。
・弥勒如来坐像(重要文化財)
講堂の本尊である弥勒如来坐像は、高さ2.84m。
寄木造りで、目鼻立ちが大きくはっきりしているので、力強い表情をしているよ。
鎌倉時代の典型的な仏像の1つなんだ。
・増長天立像(国宝)
創建当時にさかのぼると考えられる木彫像だよ。
ずんぐりとした力強い体系は、唐代の仏像を手本にしたもの。
鑑真和上とともに来日した唐人の作ではないか?と言われているんだ。
・持国天立像(国宝)
増長天立像と比べると、体の動きは多少ぎこちないものの、細かく彫刻された衣紋の精巧さ、緻密さは同時代の木造像としてはとても珍しいんだ。
<鼓楼(国宝)>
金堂、講堂の中間の東側に建つ2階建ての建築物が鼓楼だよ。
鑑真和上の仏舎利を奉安しているので「舎利殿」と呼ばれることもあるんだ。
上下階ともに、扉と連子窓で構成されていて、縁と高欄が取り付けられているの。
・舎利容器(国宝)
鑑真和上の「如来舎利三千粒」を収める「白瑠璃舎利壺」とそれを包む「方円彩糸花網」、さらにそれを収める「金亀舎利塔」で構成されたもの。
唐招提寺の創建にかかわる重要な宝物だよ。
・金亀舎利塔(国宝)
鑑真和上の渡海中に、海に沈んだ舎利を亀が背にして浮かび上がってきたとの故事にちなんで造られたもの。
高さ92cm、総体が金銅の打物、台座となる亀形部は木胎に金銅板を被せたものなんだ。
・白瑠璃舎利壺(国宝)
鑑真和上が持って来られた、仏舎利を収めるペルシャ製ガラス壺。
高さ9.2cm、胴径11.2cmで、大きめの気泡が見られる淡黄色の厚手のガラス壺だよ。
<礼堂(重要文化財)>
鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物。
南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は馬道と呼ばれる通路になっているよ。
礼堂は鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部には釈迦如来立像(重要文化財)、日供舎利塔(重要文化財)を安置しているんだ。
<御影堂(重要文化財)>
境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりと佇む建物。
元々は、興福寺の別当房であった一乗院宸殿の遺構なんだ。
明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和39年(1964年)に移築復元したんだよ。
現在御影堂には鑑真和上坐像(国宝)が奉安されているんだ。
・鑑真和上坐像(国宝)
高さ80.1㎝で日本最古の肖像彫刻で、今も鮮やかな彩色が残っているの。
天平時代を代表する彫刻で、鑑真和上の不屈の精神を感じさせる傑作と言われているよ。
脱活乾漆は麻布を漆で張り合わせて整形した製法で、内部は空洞になっているの。
この鑑真和上坐像は、鑑真和上の弟子である忍基が制作を指導したと言われているんだ。
<経蔵(国宝)>
経蔵は礼堂・東側に宝蔵とともに並んで建つ、高床式の校倉。
唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものと言われていて、唐招提寺で最も古い建造物で日本最古の校倉なんだよ。
<宝蔵(国宝)>
経蔵とともに並んで建つ校倉。
唐招提寺創建に合わせて建立されたと言われていて、経蔵よりも一回り大きいんだ。
その堂々たる姿は校倉の典型だよ。
<新宝蔵>
新宝蔵には唐招提寺が伝える多くの文化財が管理・収蔵されているよ。
金堂に安置されていた木造大日如来坐像(重文)、旧講堂木彫群と呼ばれる、良時代末期に制作された多数の木彫像などがおさめられているんだ。
・薬師如来立像(国宝)
旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像。
頭部の漆製の螺髪と両手が失われているものの、唐風作風の旧講堂木彫群の中でももっとも大らかでボリュームのある立体的な造形。
他の旧講堂の木彫が鼻を大きく欠いているんだけど、この像はその形を残しているのが特徴なんだよ。
・獅子吼菩薩立像(国宝)
薬師如来立像と同様に、旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像の一つ。
大らかな唐風の作風が特徴的な唐招提寺らしい像になるよ。
・衆宝王菩薩立像(国宝)
旧講堂に安置されていた奈良時代木彫群像
鑑真和上自身が持つ菩薩像を具体化したものといわれているの。
唐風の色彩が濃い一木彫成の像だよ。
住所
奈良市五条町13-46
アクセス
最寄り駅
近鉄西ノ京駅
奈良交通バス「唐招提寺」「唐招提寺東口」
自動車
第二阪奈有料道路 宝来ランプから3km
西名阪自動車道 郡山ICから8km