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聖徳太子の母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺「中宮寺」とは?

 

奈良には聖徳太子ゆかりのお寺がたくさんあるんだけど、中宮寺もその1つ。

聖徳太子が建立したお寺「聖徳太子建立七大寺」にも数えられているんだ。

ここでは奈良県生駒郡斑鳩町にある中宮寺(ちゅうぐうじ)についてまとめてみよう。

 

【中宮寺は聖徳太子の母のために創建された尼寺?】

 

中宮寺は奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺北にある、聖徳宗の寺院だよ。
この中宮寺は聖徳太子の母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺なんだ。

 

創建されたのは、飛鳥時代のこと。現在地より約500m東方に創建されていたの。
聖徳太子が、母である穴穂部間人皇女のために建てた御所跡を、皇后が亡くなった後に寺にしたと伝えられているんだ。

また、中宮寺は、圓照寺・法華寺とともに、大和三門跡寺院に数えられていて、その中でも最も創建の古い尼寺になるの。

旧地の発掘調査によると、中宮寺は四天王寺式伽藍配置であったことが分かっているよ。
法隆寺と中宮寺は、僧寺・尼寺の関係にあったと考えられているんだ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
聖徳太子の母親の尼寺です

 

【聖徳太子の母・穴穂部間人皇女とは?】

 

穴穂部間人皇女は聖徳太子の生母として知られているよ。

飛鳥時代の皇族で、用明天皇の皇后である穴穂部間人皇女は、厩戸皇子(聖徳太子)・来目皇子・殖栗皇子・茨田皇子を産んだんだ。
用明天皇が亡くなった後は、用明天皇の第一皇子である田目皇子と結婚し、佐富女王を産んだよ。

 

聖徳太子の出産に関しては「日本書紀」に記されているの。
それによると、諸司巡行中、厩(馬小屋)の戸口で厩戸王(聖徳太子)を難なく出産したと記されているんだ。

この記載に関しては、中国に伝来したキリスト教の異端派である「景教」がもたらした新約聖書の福音書にある「キリストの降誕」を元にしたのでは?という説があり、史実かどうかは疑われているよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
穴穂部間人皇女ってすごい名前ですよね。「あなほべのはしひとのひめみこ」と読みます

 

【衰退と復興を続ける中宮寺】

 

中宮寺は、平安時代になると寺運は衰退。
本尊とわずかな堂宇を残すのみとなってしまうの。

しかし、鎌倉時代には興福寺学僧・璋円の娘である信如比丘尼によって復興されたんだ。
文永11年(1274年)、信如比丘尼はそれまで所在が不明になっていた「天寿国曼荼羅繍帳」を法隆寺で発見し、中宮寺に戻したの。

それに合わせて、帳の修理や複製品の製作などを行い、塔・金堂を修理。
中宮寺の復興に尽力したよ。

 

中宮寺は、延慶2年(1309年)には火災にみまわれるの。
火災によって、寺は再び衰微するものの、天文年間(1532年~1555年)後伏見天皇八世の皇孫・尊智女王が入寺。
16世紀末頃には皇族の女性が尼門跡として入寺されるにあたって、夢殿の東隣りの現在の場所に移ったんだ。

それ以後、皇室から女性の方が住職につかれ、宮家の皇女を迎える尼門跡寺院としておよそ1,400年の法灯を守り伝えているよ。
現在も、宮門跡の御陵(墓所)は宮内庁管理となっているんだ。

 

菩薩半迦像 from wikipedia

 

 

【中宮寺の本尊である国宝「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」は世界の三大微笑像の1つって本当?】

 

中宮寺の本尊は、国宝に指定されていると菩薩半跏像(像高132.0㎝)だよ。

 

半跏思惟の菩薩半跏像は、飛鳥時代の最高傑作の1つであり、日本美術史上欠かすことのできない大きな存在なんだ。
また、国際美術史学者間では、この菩薩半跏像の顔の美しさを評して、数少ない「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価されているの。

菩薩半跏像は、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と呼ばれているよ。

 

半跏の姿勢で左の足を垂れて、右の足を膝の上に置き、右手をまげて、指を頬に触れようとする優しい微笑みを浮かべる姿は、向かい合った時のまなざし、見方によって様々な表情が見られるよ。
人の悩みをいかにせんかと思惟される清らかな気品が漂っているの。

 

この菩薩半跏像は、クスノキの部材をはぎ合わせた寄木造りで、黒光りする細くしなやかな体に穏やかな微笑みをたたえる本尊は、寺伝では「如意輪観音菩薩」とも呼ばれているよ。

 

2016年には、日本の弥勒菩薩像を代表して、韓国に渡り、韓国国立中央博物館の国宝仏とともに「ほほえみの御仏」として公開されているの。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
世界の三つの微笑像の一つ、モナリザはわかりますが、もう一つは、、、スフィンクスなんだね!
お坊さんレモン
お坊さんレモン
見ているだけで心が洗われるようです〜

 

【ここもチェックしておきたい!中宮寺のおすすめスポットを解説♪】

 

中宮寺と言えば、世界三大微笑像の1つであり、国宝に指定されている本尊・菩薩半跏像が有名だけど、他にも見どころはあるよ。
ここでは、中宮寺の見どころスポットをまとめてみよう。

 

天寿国繡帳(国宝) from wikipedia

 

 

<寿国曼荼羅繡帳(複製)>

寿国曼荼羅繡帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)は日本最古の刺繍遺品として知られていて、国宝にも指定されているんだ。
中宮寺に展示されている寿国曼荼羅繡帳は複製で、本物は奈良国立博物館に寄託されているよ。

 

寿国曼荼羅繡帳は、推古天皇30年(622年)に聖徳太子の妃である橘大郎女が聖徳太子の死去後に、宮中の采女に命じて、死後の世界(天寿国)の様子を刺繍したものなんだ。
もとは繍帳二帳よりなっていて、繍帳造顕の由来が示されていたの。
その銘文の全文が「上宮聖徳法王帝説」という本に書き留められているんだ。

それによると、絵を描いたのは東漢末賢、高麗加世○、漢奴加己利などの渡来系の絵師たちで、これを監督したのは椋部秦久麻。
年数が経つにつれて、曼荼羅は破損し、現存するものは往時のほんの一部にすぎないんだ。
二帳の繍帳はどちらも痛みがあり、断片化していたため、江戸時代に断片を貼り混ぜて、一幅の掛け軸としたの。

 

羅の上に、白・赤・黄色・青・緑・紫・樺色などのより糸で、伏縫の刺繍が施された繍帳は、鮮麗な色彩を残しているよ。
鳳凰が飛び、月が浮かぶ空、飛鳥時代特有の衣装をまとった人々、寺院において供物を揚げる人物、月面の兎、亀などが見られるの。
寿国曼荼羅繡帳は、7世紀中頃の染色技術や、服装、仏教信仰などを知る上で貴重な遺品と言えるんだ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
日本最古の刺繍ですって!色鮮やかで当時にこんなに色糸があったのもすごいですよね〜

 

<本堂とヤマブキの花>

本堂を訪れた際には、ぜひヤマブキの花に注目してほしい!
本堂は門跡寺院らしい優雅さや、尼寺らしいつつましやかさが漂っているんだけど、池のまわりには八重一重のヤマブキが植えられているんだ。

春(4月~5月)になると、黄色いヤマブキの花が咲き乱れて、美しい光景を見ることができるよ。
中宮宮は、法隆寺の東院伽藍のすぐ隣にあるので、法隆寺とあわせて参拝するのがおすすめなんだ。

また、中宮寺には3匹の猫がいるそうで、猫好きはぜひ中宮寺で可愛がられている猫もチェックしておきたいね。

お坊さんレモン
お坊さんレモン
荘厳で趣のある中宮寺、国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)や、天寿国曼荼羅繍帳は一度は見る価値ありですぞ!