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2021年9月7日
聖徳太子が建立したという伝承のある寺院は全国に7つあり、その中の1つが大阪府大阪市にある「四天王寺」だよ。
今回は、聖徳太子によって創建された日本初の官寺(国立の寺院)である四天王寺についてまとめてみよう。
目次
【聖徳太子建立七大寺とは?】
聖徳太子建立七大寺とは、聖徳太子が建立したという伝承のある7つの寺院のこと。
これについては最古の聖徳太子伝記である『上宮聖徳法王帝説』の中で「太子、七寺を起す。四天王寺、法隆寺、中宮寺、橘寺、蜂丘寺、池後寺、葛木寺」とあり、これに由来しているものと言われているよ。
7つの寺院それぞれの創建縁起について調べてみると、聖徳太子の死後に建立された寺院も含まれているんだ。
【四天王寺とは?】
大阪市天王寺区にある四天王寺は、推古天皇元年(593年)に聖徳太子が建立した日本最高の官寺だよ。
官寺とは国立の寺院のことで、四天王寺は1400年以上も前に建てられたんだ。
「日本書紀」によると、日本仏教の是非を巡って起きた、蘇我馬子と物部守屋の合戦に際して、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、白膠木(ぬるで)という木を伐って四天王像を彫ったそう。
そして太子は「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立し、この世のすべての人々を救済する」と誓願。
結局、蘇我氏が勝利し、その誓いを果たすために、四天王寺を建立されたと言われているよ。
なお、天王寺区の名前の由来になったのも、この四天王寺なんだ。
また、創建当初は四天王を本尊としていたとされるんだけど、現在は山号を荒陵山とし、本尊に救世観世音菩薩を祀る和宗の総本山寺院となっているよ。
救世観世音菩薩は、聖観音の別名で、人々を世の苦しみから救う菩薩とされているの。
ちなみに、和宗とは仏教の既存の宗派に属さない独立宗派のことなんだ。
【四天王寺の伽藍配置】
四天王寺の伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」と言われていて、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式となっているよ。
この四天王寺式伽藍配置は、日本では最も古い建築様式の一つなんだ。
その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされているよ。
【四天王寺では太子会・大師会という縁日が開かれる】
四天王寺では毎月22日、聖徳太子の月命日にちなんで、「太子会」という縁日が開催されるよ。
境内では、骨董市などのフリーマーケットが催され、絵堂や中心伽藍などが無料開放されるんだ。
また、毎月21日は空海(弘法大師)の月命日にちなんで、「大師会」という縁日が開催されるよ。
こちらも太子会と同様に、伽藍の無料開放とフリーマーケットが行われるんだ。
露店も多く並び、庶民の聖徳太子信仰の寺としての姿勢を現在でも貫いているよ。
【大阪大空襲により焼失してしまった四天王寺】
明治以降の四天王寺は、明治維新の神仏分離令によって、四天王寺に所属していた神社が離され厳しい状況に置かれたんだ。
しかし、人々からは庶民信仰のお寺、太子様のお寺として深い信仰を受けていたそう。
昭和9年(1934年)9月に、近畿一円を襲った室戸台風によって五重塔が東海、金堂は傾斜破損するなど境内全域が被害を受けたよ。
昭和15年(1940年)に五重塔が再建されるものの、昭和20年(1945年)の大阪大空襲によって、境内のほぼ全域が焼け落ちてしまったんだ。
その時に残ったのは、六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物だけだったの。
しかし、その後の復興の努力により、昭和38年(1963年)に伽藍が再建され、昭和54年(1979年)には聖霊院奥殿・絵堂・経堂が再建。
現在ではほぼ旧観に復元されているよ。
【四天王寺で訪れておきたいおすすめスポットとは?】
四天王寺は、総面積3万3千坪(約11万㎡)と広大な敷地を持っており、その広さは甲子園球場の3倍になるそう。
境内には、四天王寺式伽藍のほか、聖徳太子の御霊を祀る聖霊院などがあり、見どころがたくさんあるの。
ここでは、四天王寺に行ったら参拝しておきたいおすすめスポットをまとめてみよう。
<石鳥居(重要文化財)>
四天王寺の石鳥居は、西大門の前に設置されているよ。
四天王寺の西側に位置しているので、仏教の西方浄土の思想から「極楽浄土の入口に通じている」と信じられているんだ。
この石鳥居は、現存する四天王寺の伽藍の中で、最も古い建物とされているよ。
飛鳥時代の創建時(593年)には木造の鳥居があったとされているんだけど、鎌倉時代には忍性上人によって石鳥居に改められたとされているんだ。
日本最古の官寺である四天王寺に、神社のシンボルでもある鳥居が建立された理由については、いまだに分かっていないよ。
<西大門(極楽門)>
西大門は伽藍の西側に位置しており、極楽浄土への入口とされているよ。
石鳥居の西側の海に沈む夕日を拝む聖地として、信仰されているんだ。
そのため別名「極楽門」と呼ばれているよ。
<中門(仁王門)>
中門は、中心伽藍の南側に位置しているよ。
門は閉ざされているため、中心伽藍に入るには中門ではなく、西門を通る必要があるんだ。
左右に、仁王像が配置されていることがから「仁王門」とも呼ばれているの。
<五重塔>
四天王寺の五重塔は、歴史上何度も倒壊していて、現在の五重塔は建立8代目なんだ。
五重塔は中心伽藍の中央に建っていて、内部には木製の仏像や仏の彫画が安置されているよ。
また、仏舎利と聖徳太子の髪の毛も納められているそう。
再建された四天王寺の五重塔は鉄筋コンクリートでできているため、らせん階段から頂上まで登ることができるのが特徴なんだ。
<金堂>
金堂は中央伽藍の五重塔の横に建っているよ。
内部中央には、本尊の救世観音菩薩像が祀られていて、その四方を四天王像が守護しているんだ。
ちなみに聖徳太子は救世観音の生まれ変わりとも言われているの。
内壁に描かれている中村岳陵画伯筆の仏伝図も見どころの1つだよ。
<講堂>
中心伽藍の北側に位置している講堂は経典を講じたり、法を説いたりする七堂伽藍の1つ。
講堂には、十一面観世音菩薩、丈六阿彌陀如来が祀られていて、内壁に郷倉千靭画伯の仏教東漸が描かれているよ。
<聖霊院>
四天王寺の伽藍の東側に位置している聖霊院は、聖徳太子を祀っていることから「太子殿」と呼ばれているよ。
前殿と奥殿があるんだけど、参拝できるのは前殿までなんだ。
聖霊院は門に見どころがあるから要チェックだよ。
魔除けの虎の姿をした「虎の門」と「猫の門」があるんだ。
経典を納めている経堂があるため、紙類をかじるネズミ除けとして猫が番をしていると言われているの。
<六時礼讃堂>
六時礼讃堂は国の重要文化財にも指定されていて、境内の中心に位置するお堂なんだ。
堂内には、薬師如来や四天王が祀られていて、昼夜6回礼讃(法要)を行うことから「六時礼讃堂」という名前が付けられたの。
入口には、持ち上げた重みで願いが叶うかどうかが分かるとされる「おもかる地蔵」と、自分が病んでいる部分を撫でると病気が治るとされる「賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)」を安置しているよ。
おもかる地蔵は、願い事をして持ちあげてみて、軽ければ願いが叶うと言われているんだ。
<石神堂>
石神堂は、牛王尊を祀っているお堂。
四天王寺建立の際に、材木を運搬していた牛が、伽藍が完成すると石神に変わってしまったという伝説があるの。
その石神の上に堂が建てられたとされているよ。
そのため、石神堂の内部には、牛の石像がたくさん祀られているんだ。
<亀の池>
亀の池では、たくさんの亀が甲羅干ししている光景が見られるよ。
亀は弁天の遣いとされていて、付近には弁天を祀る「亀遊嶋辯天堂」があるの。
<亀井不動尊>
亀井不動尊は、近畿三十六不動尊の第一札所なんだ。
聖徳太子が亀井の水を覗くと、不動明王の姿が映っていたと言われているよ。
亀井不動尊では、本尊の水掛け不動尊を祀っているの。
<石舞台>
石舞台は日本三舞台の1つとされていて、能楽や舞がおこなわれる重要文化財なんだ。
<三面大黒堂>
三面大黒堂は、本尊に三面大黒天を祀っているよ。
三面大黒天は、大黒天・毘沙門天・弁才天の三面の顔を持つ仏尊とされていて、豊臣秀吉の出世守りの本尊にもされたそう。
福の神トリオの仏様に参拝すれば、ご利益をあやかれそうだね。
<布袋堂>
布袋堂は、乳布袋尊を祀っていて、女性からの信仰を集めているよ。
「乳のおんばさんのお堂」とも呼ばれているの。
絵馬もお乳の絵になっており、乳癌患者や、授乳中のお母さんなどが参拝に訪れているんだ。
布袋さんと乳の出との関係はよく分かっていないものの、一説には元来聖徳太子の乳母を祀ったのが始まりとされているよ。
布袋の乳の豊かさと乳の出がよくなりますようにとの信仰が結びついたものといわれているの。
<元三大師堂>
元三大師堂には、元三大師をお祀りしていて、元和4年(1618年)建立。
元三慈恵大師は、第18代天台座主で、叡山中興の祖とも言われているよ。
またおみくじの創始者としても知られているの。
堂の周りには、六時堂と同じようにおもかる地蔵と賓頭盧尊者像が祀られているんだ。
また、堂の入り口には、京都の八坂神社にもある「茅の輪」が設置されているよ。
<宝物館>
宝物館には四天王寺にまつわる絵画・工芸品・史料などの宝物が展示されているよ。
宝物館の入口には、石鳥居の一部や石槽なども安置されているんだ。