神社とお寺はコンビニよりもたくさんあるって本当?!全国にある神社・お寺の数を徹底リサーチ
2021年6月10日神社の中でも別格の存在である伊勢神宮ってどんなところ?125の宮社からなる伊勢神宮の謎に迫る!
2021年6月21日日本全国には8万社以上の神社があると言われているんだけどその中でも「日本三大神宮」「日本三大大社」「日本三大天満宮(天神)」「日本三大稲荷」など日本三大とつく神社はとても有名なんだ。
今回は日本三大神宮についてまとめてみよう。
目次
【神宮は神社とは違うの?】
そもそも日本三大神宮の「神宮」とは神社と何が違うのかな?
神社は神様を祀る場所なんだけど、神宮は神社の中でも天皇を祀っている、もしくは天皇家と同等の一族を祀っている神社に与えられた称号なんだ。
神社の中でも最も格式が高いと言われているの。
つまり神社は総称で、神社の中の1つのカテゴリーに神宮があるという位置づけになるよ。
神宮という名称に関しては長い歴史があって、日本書紀に記載されたのが最初なんだ。
【日本三大神宮は3つじゃない?実は5つあるって本当?】
日本には数多くの神宮が存在するんだけど、『日本書紀』に「日本三大神宮」について示されているんだ。
その後、『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』にも「日本三大神宮」についての記載があるの。
実は、『日本書紀』と『延喜式神名帳』では「日本三大神宮」についての記載が違い、別の神宮が記載されているの。
つまり、日本三大神宮は本来であれば3つの神宮なんだけど、実は5つの神宮が候補に挙がってるんだ。
次に『日本書紀』由来と『延喜式神名帳』由来、それぞれの日本三大神宮をまとめてみよう。
<『日本書紀』>由来の説>
神宮について最初の記載があるのは奈良時代に書かれた『日本書紀』だよ。
この『日本書紀』は720年に完成した日本で最も古い歴史書なんだ。
『日本書紀』には「日本三大神宮」とは記載されているわけではないんだけど、伊勢神宮、出雲大神宮(出雲大社)、石上神宮が記載されているよ。
<『延喜式神名帳』由来の説>
『延喜式神名帳』は平安時代の927年にまとめられた歴史書物『延喜式』の第九・十のことで、全国の神社の一覧が掲載されているんだ。
この『延喜式神名帳』に、神宮として記されていたのは、大神宮(伊勢神宮内宮)、鹿島神宮、香取神宮の3つの神宮なの。
『日本書紀』と『延喜式神名帳』の両方で記載されているのは伊勢神宮のみで、他は別の神宮が記載されていることから「日本三大神宮」の候補は全部で5か所となるんだよ。
【日本三大神宮には明確な定義はない?熱田神宮も日本三大神宮に選ばれる?】
ここまで日本三大神宮について5つの神宮を紹介してきたよね。
『日本書紀』由来の3社と『延喜式神名帳』由来の3社があるんだけど、日本書紀よりも編纂の時代がより新しい『延喜式神名帳』由来の神宮を「日本三大神宮」としてとらえることの方が多いんだ。
けど、実際には日本三大神宮には明確な定義があるわけではないの。
そのため今回紹介した5つの神宮ではなくて、他の神宮を「日本三大神宮」に挙げる人もいるんだよ。
その中でよく聞かれるのが愛知県名古屋市にある「熱田神宮(あつたじんぐう)」なんだ。
熱田神宮は第12代景行天皇43年の創建として伝えられていて、とても由緒ある古い神宮なの。
【「日本三大神宮」の5つの候補をまとめてみよう!】
『日本書紀』由来と『延喜式神名帳』由来の、5つの神宮をまとめてみよう。
<伊勢神宮>
三重県伊勢市にある伊勢神宮は、正式名称は地名のつかない「神宮」
日本にある他の神宮と区別するために通称で「伊勢神宮」と呼ばれているんだ。
このことからも分かる通り、伊勢神宮は神宮の中の神宮という位置づけだよ。
伊勢神宮には下宮と内宮の他、大小125もの宮社が点在しているんだ。
伊勢神宮は「三種の神器」の一つである「八咫鏡」をご神体としていて、歴史的に天皇や朝廷と深い結びつきがあるの。
神宮祭主には旧皇族が就いていて、神嘗祭や新嘗祭など祭事の際には天皇から勅使を派遣しているよ。
<石上神宮>
奈良県天理市にある石上神宮は、『日本書紀』によると日本で最も歴史がある神宮とされているよ。
創建は崇神天皇7年とされていて、崇神天皇は第10代天皇で、在位は崇神天皇元年~崇神天皇68年、在位期間68年になるの。
石上神宮には古代百済から献上された国宝の七支刀など、重要文化財の鉄盾、勾玉、管玉など貴重な宝物が数多く収蔵されているよ。
石上神宮の主祭神は布都御魂。
布都御魂は日本神話の中に現れる霊剣で、伝説の中で初代天皇である神武天皇の元にもたらされた剣と言われているの。
神武天皇は霊剣である布都御魂を用いて大和を成立させたとされているんだ。
また布都御魂は、天皇家と深い関わりがあり巨大豪族として一時代を築いた物部氏により、石上神宮に移され主祭神になったといわれているよ。
<出雲大神宮(出雲大社)>
出雲大神宮とされるのが、京都府亀岡市にある「出雲大神宮」と島根県出雲市にある「出雲大社」の2か所があって、それぞれ別法人なんだよ。
元々は出雲大社があって、それを勧請して出雲大神宮が創建されたという説や、逆に出雲大神宮の勧請により出雲大社が創建されたという説もあってよく分かっていないの。
つまり『日本書紀』で記された出雲大神宮が、亀岡市の出雲大神宮なのか、出雲市の出雲大社なのかがはっきりとしないんだ。
日本書紀が編纂されたのは奈良時代で、出雲大神宮も出雲大社もすでにあったものと思われているけど、出雲大社は古来より「杵築大社」と称されていて、出雲大社に改めたのは明治時代に入ってからと言われているの。
そのため出雲大神宮は亀岡市の出雲大神宮のことではないか?という説もあるよ。
今回はそれぞれまとめてみよう。
・出雲大神宮
京都府亀岡市にある出雲大神宮は709年に創建された、1300年以上の歴史のある神社。
伊勢神宮や石上神宮に比べると歴史的には新しい創建なんだけど、日本書紀編纂の直前だからかなり歴史にある神宮であることが分かるね。
場所は朝廷に近い京都で、当時の都の奈良からも近い場所にあるんだ。
御影山を神体山としていて、大国主命と后神の三穂津姫命を主祭神として祀っているの。
大国主命は、神話上の神で『日本書紀』や『古事記』に登場しており、古来より国土を守っていた土着の神である国津神の代表とも言われているんだ。
また出雲大神宮は、「日本三大神宮」の5つの候補の中で、唯一神社庁に属していない単立で存在する神社なの。
・出雲大社
出雲大社は島根県出雲市大社町にあり、「日本三大大社」の1つにも挙げられているんだ。
呼び方は「いずもたいしゃ」ではなく、「いずもおおやしろ」だよ。
出雲大社のご祭神は大国主神で、因幡の白うさぎ伝説や縁結びの神様などでも全国的に有名だね。
<鹿島神宮>
常陸国一之宮の鹿島神宮は茨城県鹿嶋市にあって、全国に約600ある鹿島神社の総本社になるの。
千葉県香取市の下総国一宮の香取神宮と深い関係があり、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社にもなっているよ。
鹿島神宮は、日本建国かつ武道の神様である武甕槌大神を祀っていて、地元の人から厚い信仰を寄せられている神社なの。
<香取神宮>
香取神宮は千葉県香取市にある神宮で下総国の一宮だよ。
全国にある約400社の香取神社の総本社であり、茨城県の鹿島神宮との結びつきがとても強くて、鹿島神宮、息栖神社とともに東国三社と呼ばれているの。
祭神は武術の神様である経津主大神。
経津主大神は鹿島神宮の武甕槌大神とともに天孫降臨に先立ち、地上の争いを収め、この2神で葦原中国(今の日本)を平定させたとされているよ。
そのため武神として武術を習う人たちから厚い信仰を寄せられているんだ。
鹿島神宮と香取神宮は一対で見られることが多いの。
その理由は、いずれの神様も神武天皇に剣を授けて、国の成立に寄与をしているから。
また、朝廷から見て鹿島神宮と香取神宮のある場所は、それより以北の敵に対抗するための重要な場所だったんだ。
そんな重要な場所に朝廷にとっての軍神を祀ることで、朝廷の権威を見せつけ北方への抑えとしたと考えられているんだよ。
【神宮は明治以降に増えたって本当?】
神宮という名称を有する神社は、明治時代以降に増えたと言われているんだ。
ただ、明治時代~太陽用戦争が終結するまでは「神宮」と名乗るには勅許が必要だったの。
これは太平洋戦争が終わるまでは、神社は国家で管理されていたことが由来されているよ。
太平洋戦争が終わった後は、神社は国家管理を離れて神社本庁が統括することになるの。
神社本庁という名前が付いているんだけど、あくまでも民間の宗教法人という位置づけで、神社本庁に属さない神社も全国にはあるよ。
神社本庁に属していない神社が「神宮」と名乗ることも任意とされているの。
「神宮」の定義としては、天皇を祀るもしくは、天皇家と同等の一族を祀る神社に与えられる称号なんだけど、現在は任意で名乗れることから将来的には「神宮」の定義も変わる可能性があるんだ。