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宇和島城

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宇和島城は愛媛県宇和島市にあったお城。
江戸時代は宇和島藩の藩庁となり、城跡は国の史跡に指定されています。

宇和島城は中世期にあった丸串城の跡地に、藤堂高虎によって築城された近世城郭です。
標高73mの丘陵とその一体に、山頂の本丸を中心にそれを囲むように二の丸、その北に藤兵衛丸、西に代右衛門丸を配置いした平山城になります。
東側には海水を引き込んで、水堀、西側半分が海に接しているので海城でもありました。

現在見られる天守の建築は伊達氏によるものですが、縄張りそのものに関しては築城の名手として知られる藤堂高虎が創建した当時の形が活用されています。

天守は、当初高虎による複合式望楼型の三重天守が上がっていたが、寛文2年(1662年)〜11年に2代目藩主伊達宗利によって行われた改修では、独立式層塔型3重3階に建て替えられました。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒798-0060 愛媛県宇和島市丸之内3

 

・御城印の入手場所

宇和島城天守1階

300円

宇和島城には本丸天守から原生林の中を抜ける間道が数本あります。
この間道は、西海岸の船小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていました。宇和島城にはこの間道のほか、五角形平面の縄張りである「空角の経始」、隠し水軍など、藤堂高虎の築城術の秘法が見事に生かされたお城です。

宇和島城の一番すごいところは、縄張り(設計)です。
地上から宇和島を眺めると、四角い堀で囲まれているように見えるものの、空から見ると五角形になっています。
五角形にすることで左右両方に発見されず、一方向の敵にしか逃げた所が見えないため、逃走成功率があがるのです。

徳川幕府の放った隠密は、江戸に送った密書(讃岐伊予土佐阿波探索書)にて「宇和島城は四方の間、合わせて十四町」と、四角形と見誤っていたといわれています。