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臼杵城

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臼杵城は大分県臼杵市にあるお城で、城跡は大分県の史跡に指定されています。
戦国時代に、大友宗麟によって臼杵城の前身となる丹生島城が築かれ、そのお城が大友氏の拠点となります。
江戸時代になると、臼杵城には臼杵藩の藩庁が置かれました。

臼杵城には3重の天守と31基の櫓が上げられ、総二階造りの重箱櫓と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であったと言われています。
廃藩後は天守以下の建物は一部だけ残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられました。

現在、臼杵城の城郭主要部は都市公園として整備されており、石垣、空堀が残っています。
また二の丸の畳櫓と、本丸にある切妻造りの卯寅口門脇櫓は現存しています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒875-0041 大分県臼杵市大字臼杵丹生島

 

臼杵城を築城した豊後の大名である大友宗麟は熱心なキリシタンとして有名でした。
大友宗麟は、1562年に四方を海に囲まれた天然の要塞であった丹生島にのちの臼杵城となる丹生島城を築き、そこから城下町臼杵の歴史が始まったのです。

臼杵城はキリシタン王国を夢見た大友宗麟の拠点となり、城内には礼拝所があったと伝えられています。
また二の丸跡にはポルトガルから送られ国内の実戦で最初に使用された大砲「国崩し」の複製もあります。

臼杵城があった臼杵は城下町として栄え、大友宗麟時代の南蛮文化やキリシタン文化の歴史を色濃く感じることができます。
宣教師「ルイス・フロイス」が記した記録によると、当時の臼杵の城下町には、 キリスト教の関連施設が多く建設され、お城の中には礼拝堂もあったとされています。