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佐和山城

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佐和山城は、近江国坂田郡(現在の滋賀県彦根市)の佐和山にあった山城です。

中世中期〜近世初期にかけてあった佐和山城は、織田・豊臣政権下において畿内と東国を結ぶ要衝として軍事的にも政治的にも非常に重要な拠点であったとされています。
織田信長の配下の丹羽長秀、豊臣秀吉の奉公である石田三成が居城し、関ヶ原の合戦後は井伊家が一時的に入城しました。

佐和山城の歴史は古く、鎌倉時代に佐保時綱が築いた砦が始まりであったといわれています。
そのあと、六角氏が犬上郡を支配し、応仁の乱の後は、家臣の小川左近大夫・小川伯耆守を城主となりました。

戦後時代になりと、織田氏家臣の丹羽長秀が入城し、本能寺の変の後には豊臣政権下の城となったそうです。
1600年、関ヶ原の戦いで石田三成を破った徳川家康は、佐和山城を攻撃。
山城として山上には本丸を中心として、西の丸、二の丸、三の丸があります。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒522-0007 滋賀県彦根市古沢町

 

・御城印の入手場所

ホテルサンルート彦根売店コーナー

330円

佐和山城は 5層の天守を構え、鳥居本を大手とする立派な城であったとされています。

関ヶ原の戦いで石田三成が破れた後、井伊直政が城主となるものの、彦根城築城に伴い廃城となります。
建築物の多くは、彦根城や麓にある清涼寺、龍潭寺に移築・転用。
佐和山城をしのぶものは、山腹の石田軍霊碑だけです。

佐和山(232.5m)の山頂まではハイキングコースが整備されているので、手軽なハイキングにぴったりです。
山頂からは彦根城や琵琶湖が一望できます。

佐和山にある龍潭寺は井伊氏の始祖、藤原共保以来の井伊家の菩薩寺です。
臨済宗妙心寺派の寺院で、井伊直政が佐和山城主になったのを機に、佐和山山麓に移築しました。