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原城

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原城は長崎県南島原市にあるお城で国の史跡にも指定されています。
別名「春城」「日暮城」「有馬城」「志自岐原城」と呼ばれており、2018年に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産の1つです。

原城は明応5年(1496年)に日野江城の支城として有馬貴純によって築城されました。
有明海に張り出した丘陵にあり、本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸で構成されていたそうです。
有馬氏が日向国延岡城に転封となった後に、松倉重政が日野江城に入城するものの、不便な日野江城を放棄して島原城を築城したと言われています。
この際に、原城も廃城となっており、原城の石垣や構築物は、島原城に転用されたとされています。
発掘調査では、惨殺された一揆軍の遺骨や鉛の弾丸、クルス、万人坑などが出土しています。

 

写真提供

wikipedia (PD, CC – 著作権名は画像に記載)

〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町

 

原城は死者の復活を恐れて徹底的に破壊されたお城として有名です。
1637年に起きた島原・天草一揆の後に、幕府軍は原城を徹底的に破壊しました。

本丸入口、大手門、その先の広い空間からは大量の人骨が出土しており、その人骨の上には壊した石垣の外側の大きな石、粘土質の土などが覆いかぶせられており、死者の復活を恐れているかのようでした。
原城に使われていた石垣も埋め戻して山にして、海に面して建っていた櫓台跡も隅石が外され、城として再生できないように徹底的に破壊していたです。

原城跡地にはホネカミ地蔵が建てられています。
このホネカミ地蔵は一揆が終わった130年後に有馬村願心寺の法誉上人が作ったと言われています。
「ホネカミ」とは骨をかみしめるという意味だそうです。