真宗大谷派本山・東本願寺の世界最大級の木造建築「御影堂」は圧巻の大きさ!
2022年9月5日京都の隠里・大原にある三千院は紅葉の名所!その魅力に迫ろう!
2022年9月15日清水寺や八坂神社などの東山エリアにある知恩院は、京都で人気の観光スポットの1つ。
浄土宗の総本山として知られる知恩院には、国宝の三門・御影堂など数多くの重要文化財が存在しているんだ。
その他にも多数の見どころがある知恩院の魅力に迫ってみよう。
目次
【知恩院とは?】
知恩院は、法然上人ゆかりの地に建立された浄土宗の総本山。
正式名称は「華頂山知恩教院大谷寺」といい、東山三十六峰のひとつ・華頂山の麓に大小数多くの伽藍が建つ大寺院なの。
法然上人の御尊像を安置している国宝・御影堂をはじめ、国宝・三門や勢至堂などたくさんの重要文化財があるよ。
また友禅苑や方丈庭園など四季折々の風景が楽しめるフォトジェニックスポットも多いんだ。
【知恩院の歴史とは?】
知恩院は、浄土宗の開祖である法然上人が過ごした地に建立されたお寺のため、今もなお壮大な境内を有しているの。
その歴史は、承安5年(1175年)に法然上人が東山吉水に草案を結び、専修念仏の布教を行ったことに始まるそう。
建永2年(1207年)の四国への流罪の後、建歴元年(1211年)に帰洛し、法然上人は大谷山上の禅房に入られるよ。
その翌年、法然上人がこの地で亡くなると、終焉の地であった大谷に門弟たちが廟堂を建立し、それが知恩院の起源となるんだ。
江戸時代になって浄土宗を信仰した徳川家康がこの知恩院は「永代菩提所」と定めたことから寺領が拡大され、家康・秀忠・家光などによって現在の大伽羅が築かれたよ。
現在、三門と御影堂は国宝にも指定されているの。
【知恩院という名前の由来は?】
知恩院という名前は、法然上人の命日である25日に弟子たちが「知恩講」と呼ばれる追善法会を行ったことに由来するよ。
【知恩院の七不思議とは?】
知恩院には古くから伝わる七不思議があるんだ。
ここでは知恩院の七不思議について紹介してみよう。
<七不思議1:鴬張りの廊下(仏の誓い)>
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下は、全長550mもの長さがあるの。
この廊下は、歩くと鶯の鳴き声に似た音が出るんだ。
しかも、静かに歩こうとするほど音が出るので「忍び返し」とも呼ばれているそう。
曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っているとされているんだ。
また鶯の鳴き声が「ホーケキョ(法聞けよ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするとも言われているよ。
<七不思議2:白木の棺(不惜身命)>
三門楼上には2つの白木の棺が安置されていて、中には将軍家より三門造形の命を受けた造営奉行・五味金右衛門夫婦が自作した木像が納められているよ。
五味金右衛門は「立派なものを造る」と心に決め、自分たちの像を刻み、命がけで三門を造ったんだ。
やがて三門が完成したものの、工事の予算がオーバーしてしまい、夫妻はその責任をとって自刃したと伝えられているの。
この五味金右衛門夫婦の菩提を弔うために、白木の棺に納めて三門楼上に置かれているんだ。
<七不思議3:忘れ傘(知恩・報恩)>
御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘が見えるよ。
この傘には以下の2つの説があるの。
・魔除けのために置かれた説
当時の名工・左甚五郎が魔除けのために置いていったと言われているよ。
・白狐が御礼に置いていった説
知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂を建立する時に、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼したそう。
その要望を聞き入れて雄誉霊巌上人は棲居を作ったそう。
白狐がそのお礼にこの傘を置いて、知恩院を守ることを約束したといわれているよ。
どちらの説でも、傘は雨が降る時に差すものなので、水と関係があり、火災から守るものとして信仰されているんだ。
<七不思議4:抜け雀(心を磨く)>
大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いた作品。
紅白の菊の上に数羽の雀が描かれているの。
あまりに上手に描かれていたので雀が生命を受けて抜け出したと言われているよ。
現存する大方丈の襖絵には、雀が飛び去った跡しか残っていないの。
この七不思議は狩野信政の絵の巧みさをあらわした逸話と伝わっているんだ。
<七不思議5:三方正面真向の猫(親のこころ)>
方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵は、どこから見ても見る人の方を正面から睨んでいるように見えるんだ。
親猫が子猫を慈しむ姿が見事に表現されていて、親が子を思う心、仏様の慈悲をあらわしているよ。
<七不思議6:大杓子(仏のすくい)>
大方丈入口の廊下の梁に置かれているのが、大杓子だよ。
この大杓子の大きさは長さ2.5m、重さは約30kgで、非常に珍しいものと言われているの。
伝説によると三好清海入道が、大坂夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったという説や、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったという逸話が残されているんだ。
「すくう」とは全ての人々を救いとるといういわれから、知恩院に置かれ阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしているそう。
<七不思議7:瓜生石(はげみ)>
黒門への登り口の路上にある大きな石は「瓜生石」とよばれ、知恩院が建立される前からあるそう。
瓜生石の周囲は石柵をめぐらしてあるよ。
この瓜生石は、誰も植えた覚えがない瓜のつるが伸び、花が咲き、瓜が青々と実ったという説があるよ。
また別の逸話では八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、再びこの石に来現して、一夜のうちに瓜が生え実ったという言い伝えもあるんだ。
瓜生石を彫ると、二条城までつづく抜け道がある、隕石が落ちた場所であるなど様々な言い伝えが残っているよ。
【知恩院の見どころスポットを徹底解説!】
知恩院には国宝や重要文化財が数多くあり、見どころがたくさんあるの。
ここでは知恩院を訪れたら必ず参拝しておきたいおすすめスポットをまとめてみよう。
<三門(国宝)>
知恩院のシンボルとも言える三門は日本最大級の規模を誇る木造門で、国宝にも指定されているよ。
現存する木造の門としては、日本最大級を誇っているの。
高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚と圧倒的なスケールなんだ。
ちなみに三門の「三」は、「空・夢想・無願」の3つの解脱の境地(三解脱門)を現すそう。
五間三戸、二階二重門の造りで、冬の「そうだ京都、行こう。」キャンペーンのポスターにも3度起用されているの。
1621年に、徳川幕府第2代将軍・秀忠公の命で建立されたもので、上層部の楼上に登ることができるよ。
上層部からは、祇園エリア一体の景色を見渡すことができるんだ。
また楼上内部は仏堂となっていて、中央に宝冠釈迦牟尼仏像(重要文化財)、脇壇には十六羅漢像(重要文化財)が安置されているの。
天井や柱・壁などには迦陵頻伽や天女、飛龍が極彩色で描かれているよ。
楼上は通常は非公開なんだけど、イベントや特別公開の時期には拝観できることもあるの。
毎年4月に行われる法然上人の忌日法要「御忌大会」の期間に行われる「ミッドナイト念仏 in 御忌」では楼上に上がり、木魚を叩きながら「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるんだ。
荘厳な雰囲気の中で夜通し行われるこの行事は、若い世代にも人気を集めているよ。
<男坂・女坂>
三門をくぐると、真正面には急斜面の「男坂」と、向かって右側になだらかな斜面の「女坂」という2つの階段があるの。
男坂は1段の高さが約24㎝で距離は短く、女坂は1段の高さが約8㎝で距離は長いよ。
<大鐘楼>
知恩院のシンボルと言えば三門が有名だけど、もう1つシンボル的存在なのが重要文化財に指定されている大鐘楼だよ。
寛永13年(1636年)に大鐘が鋳造され、延宝6年(1678年)に鐘楼が建造されたと伝わっているの。
知恩院の大鐘楼は、京都市の方広寺、奈良県の東大寺と共に、日本三大梵鐘の1つの数えられているんだ。
ちなみに大鐘楼が鳴らされるのは「法然上人の御忌大会」と「除夜の鐘」だけ。
特に大晦日に行われる「除夜の鐘」は、京都の冬の風物詩として有名で、「えーいひとーつ」「そーれ」という掛け声でお坊さんがダイナミックに鐘を鳴らすよ。
<御影堂(国宝)>
御影堂は浄土宗の開祖・法然上人の御影(みえい)を祀っているお堂で国宝指定。
内部の仏具は金装飾に彩られ、神秘的で荘厳な造りが特徴だよ。
現在の御影堂は、1639年に徳川家光によって再建されたもの。
間口45m、奥行き35m、幅3mの外縁をめぐらした巨大な伽藍となっているよ。
お念仏の根本道場として、多くの参拝者を受け入れてきたお堂なんだ。
2011年(平成23年)に「法然上人800年大遠忌」の記念事業として御影堂の大規模修復が行われ、9年に及ぶ修復期間を終えて2020年4月に落慶。
今回の大規模修復はなんと100年ぶりで、半解体し屋根瓦の全面葺き替えなどを行ったそう。
修理前は全体的に色が落ちていた「明照」額は、鮮やかな群青色の岩絵具で塗り直され、極彩色の美しい姿に生まれ変わったよ。
新調された内陣を飾る幢幡は、これまでより大きい長さ約6.2m、重さ約400キロもあるそう。
この大きさは世界最大級なんだって。
<阿弥陀堂>
阿弥陀堂は知恩院の本堂にあたるお堂。
堂内には高さ約2.7mの大きな御本尊・阿弥陀如来坐像が安置されているよ。
元々は勢至堂前に建立されていたけれど、宝永7年(1710年)に現在の場所に移築。
現在の建物は、明治43年(1910年)に再建されたもので、境内では唯一明治年間に造られた建物なんだ。
<勢至堂>
境内の東側にある勢至堂は、かつて法然の住房があった小高い場所にあるよ。
1530年に建立された知恩院最古の建造物で、重要文化財に指定されているんだ。
この勢至堂は本堂として建立された建物で、現在は法然の本地身とされる重要文化財・勢至菩薩像を御本尊として祀っているの。
<集会堂>
集会堂は「千畳敷」とも呼ばれる広大なお堂で、1635年に建てられたもの。
重要文化財に指定されており、1872年には京都博覧会の会場としても使用されたよ。
渡り廊下で御影堂とつながっているんだ。
<方丈・方丈庭園>
知恩院には大方丈と小方丈の2つの方丈があるの。
どちらの方丈も1641年に建てられたもので、重要文化財に指定されているよ。
大方丈には狩野派の豪華な袴絵が、小方丈には水墨画が描かれているの。
内部は非公開なものの、周囲にある方丈庭園から眺めることはできるよ。
<唐門>
唐門は「勅使門」とも呼ばれ、寛永18年(1641年)建立。
牡丹唐草、鯉に乗る老人、巻物を持ち鶴に乗る老人、松を配した細かな彫刻が刻まれているよ。
これらは桃山時代に流行した故事伝説に基づくものであると言われているんだ。
<経蔵>
経蔵は重要文化財に指定されているものの、内部は非公開となっているお堂。
御影堂の東側に建っており、三門と同じ元和7年(1621年)に建てられたんだ。
内部には、天井、柱、壁面などに狩野派の絵師によって美しく描かれているそう。
また、徳川2代将軍・秀忠公の寄附によって納められた「宋版一切経」約6千帖を安置する八角輪蔵が備えられているよ。
その八角輪蔵を1回転させれば「一切経」を読誦するのと同じ功徳を積むことができると言われているんだ。
<御廟>
京都府有形文化財に指定されている御廟は、法然上人の御遺骨を安置する廟堂(内部非公開)
方三間の宝形造本瓦葺で、周囲には唐門のある玉垣がめぐらされているよ。
御廟の手前には、法然上人の御廟にお参りするための拝殿があるの。
この拝殿は宝永7年(1710年)に建てられた檜皮葺のお堂。
法然上人を間近に拝することができることから、全国から訪れた檀信徒によってお念仏の声が絶え間なく響き渡っているの。
また拝殿では、毎月法然上人のご命日である25日に別時念仏会が行われているんだ。
御影堂と同じく平成の大修理が行われ、御遺骨をお祀りする御廟堂前面の唐門と、参拝のための拝殿のすべてが修復されたよ。
<友禅苑>
友禅苑は、東山の湧き水を引き入れた枯山水の庭園。
昭和の名園と呼ばれており、特に秋の季節は紅葉が美しく、京都隋一の紅葉スポットとして人気があるよ。
友禅苑の池に映り込む紅葉はとっても見事なんだ。
自然あふれる友禅苑には、裏千家ゆかりの茶室「華麗庵」や、当山第86世中村康隆猊下の白寿を記念して移築された茶室「白寿庵」などがあるの。
<方丈庭園>
方丈庭園は、江戸時代初期に小堀遠州と縁のある僧玉淵によって作庭されたとされる池泉庭園のこと。
方丈の華麗な建築と、背後の東山の風光が調和して、情緒あふれる美しい風景を醸し出しているよ。
【知恩院で木魚念仏体験してみよう!】
知恩院の阿弥陀堂では、お坊さんと一緒にお念仏を称えることができる「木魚念仏体験」を開催しているの。
お堂内に椅子と木魚が用意され、木魚を叩きながら「南無阿弥陀仏」を繰り返し称えるんだ。
お念仏の後は、お坊さんのありがたいお話を聞くこともできるよ。
ちなみにこの木魚念仏体験は毎日開催していて、申込みは不要。
9時30分~15時30分の間で随時開催されているから、ぜひ参加してみよう(1回10分程度)
【知恩院は紅葉時のライトアップが美しい!】
知恩院では毎年、春と秋にライトアップを行っているの。
御影堂、三門、友禅苑、女坂など境内の至るところがライトアップされるよ。
特に秋の紅葉シーズンのライトアップは絶景。
紅葉シーズンに参拝される方は、ぜひ夜のライトアップも堪能してみよう。
【知恩院の住所とアクセス】
住所
京都府京都市東山区林下町400
アクセス
京都駅から市バス206系統 約23分(知恩院前 下車)など
公式サイトより引用