鎌倉四大寺の1つ「建長寺」は「けんちん汁」の発祥の地?!
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2022年1月16日
鎌倉を代表する古刹である円覚寺は、鎌倉四大寺の1つとして知られているよ。
鎌倉五山第二位という高い寺格を持つ円覚寺の魅力に迫ってみよう。
目次
【円覚寺とは?】
円覚寺は臨済宗円覚寺の大本山で、正式名称は瑞鹿山 円覚興聖禅寺(ずいろくさん えんがくこうしょうぜんじ)」と言うよ。
鎌倉五山第二位という高い格式を持つよ。
同じく北鎌倉エリアにある鎌倉四大寺の1つである建長寺とともに、鎌倉禅宗を代表するお寺で、古くから地元の人に親しまれてきたんだ。
ちなみに鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の五山制度に倣って鎌倉の禅寺に設けられた五代官寺のことなの。
この鎌倉五山は、鎌倉で最も高い格式を持った禅宗の寺院であり、第一位から順に
・建長寺(第一位)
・円覚寺(第二位)
・寿福寺(第三位)
・浄智寺(第四位)
・浄妙寺(第五位)
の五寺を指すよ。
【円覚寺の名前の由来は?】
円覚寺という名前の由来は、1277年(建治3年)北条時宗が建長寺にいた蘭渓道隆を迎えて寺を創建しよう寺域を掘ったところ、大乗経典の「円覚経」が入った石櫃(いしびつ)が出土したためと言われているよ。
また、正式名称の瑞鹿山 円覚興聖禅寺の「瑞鹿山」という山号は、仏殿開堂落慶の時に「無学祖元禅師」の法話を聞こうと白い鹿がたくさん集まってきたためと言い伝えられているんだ。
【円覚寺の歴史】
円覚寺は1282年に創建された由緒あるお寺なんだ。
鎌倉幕府8代執権だった北条時宗が中国の宋から無学祖元禅師を招き、鎌倉時代後半に起きた、文永の役(1274年)や弘安の役(1281年)の元寇襲来(モンゴル帝国・元の侵略戦争)で亡くなった日本軍、元軍の大勢の人たちを弔うために創建されたの。
鶴岡八幡宮の八幡大神がシラサギに化け、円覚寺の白鷺池へ案内したことから、現在の地に創建されたという言い伝えも残っているんだ。
この円覚寺は、建長寺の北方で鎌倉の北入口に位置しているので、外敵の侵入を阻止するために、見張りの役目もあったそう。
創建当時は、現在の北鎌倉駅や鎌倉街道も一帯が円覚寺の境内だったの。
北条氏や朝廷、幕府から帰依を受けた円覚寺は、鎌倉時代末期に伽藍が整備されたよ。
その後、室町時代や江戸時代には火災に遭い、勢いが弱まる時代もあったんだ。
しかし、江戸時代後期には大用国師が、僧堂や山門などを復興。
現在の円覚寺の基本を造り上げたとされているよ。
近代に入り明治時代以降には、今北洪川老師や釈宗演老師が多くの人材を育てあげていて、現在でもたくさんの座禅会が開かれているの。
また円覚寺は鎌倉でも寺宝が多いお寺として知られているんだ。
無学祖元や北条時宗に関するものの他にも、仏画、仏像、工芸など多数あるんだ。
円覚寺にある寺宝は普段は公開されていないんだけど、毎年11月3日前後に行われる「宝物風入れ」の際にその大部分が公開されるよ。
【夏目漱石の作品にも登場する円覚寺】
実は夏目漱石も円覚寺を訪れたことがあると言われているよ。
夏目漱石の小説「門」では、主人公が鎌倉の禅寺を訪ねて坐禅をするという話があるんだ。
その描写は若き日に漱石が円覚寺で坐禅した経験を踏まえたものだと言われているの。
夏目漱石の他にも、島崎藤村、有島武郎など多くの文士の創作の舞台となったことが伝わっているよ。
【円覚寺の見どころを徹底解説】
北鎌倉エリアを代表するお寺である円覚寺にはたくさんの見どころがあるんだ。
ここでは、円覚寺を訪れたらぜひともチェックしておきたいおすすめスポットをまとめてみよう。
<総門>
円覚寺の総門は北鎌倉の玄関ともいえるよ。
北鎌倉駅を降りて1分の場所にある総門は、北鎌倉の待ち合わせスポットとしてもにぎわっているの。
秋には鎌倉でも有数の紅葉スポットになるんだ。
総門には後光厳天皇筆で山号の「瑞鹿山」の額が掛かっているよ。
<三門(山門)>
円覚寺のシンボルとも言える三門は、総門から石段を上がると見えてくるよ。
現在の三門は1783年に再建されたもので、「円覚興聖禅寺」の額は伏見上皇によるものなんだ。
格式高い二重門式となっていて、楼上には観音像、十六羅鑑像顎などが安置されているよ。
この三門は三解脱(空・無相・無願)を象徴すると言われていて、煩悩や執着を取り払って仏殿に至る門とされているの。
<仏殿>
仏殿には円覚寺の御本尊・宝冠釈迦如来坐像が祀られているよ。
正式名は「大光明宝殿」と言い、仏殿の正面の文字は後光厳上皇直筆の写しなんだ。
関東大震災で倒壊したものの、1964年(昭和39年)に再建。
仏殿は禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物で、様々な行事や毎朝行われる坐禅が行われているよ。
・宝冠釈迦如来坐像
仏殿に鎮座する宝冠釈迦如来坐像は、髪を頭上で大きく結び、宝冠と胸飾りをまとった豪華絢爛な装飾が目を惹く巨大な本尊だよ。
威風に満ちたおごそかなたたずまいは圧巻で、頭部のみ鎌倉時代の作品なんだ。
胴体部分は消失し、江戸時代初期に補造されたもの。
華厳経の世界を説く姿から別名「華厳の釈迦(盧遮那仏)」とも言われているよ。
・白龍の図
仏殿の天井には白龍の図が見られるよ。
この白龍の図は、文化勲章受章者である前田青邨監修、守屋多々志揮毫作の三爪の龍図なんだ。
<舎利殿(国宝)>
舎利殿は神奈川県で唯一の国宝建造物。
1285年(弘安8年)に北条貞時によって創建されたものの、1563年(永禄6年)に焼失。
現在の建物は、尼五山の第一位と言われた大平寺の仏殿だった建物を15世紀頃に移築したものなんだ。
柿葺きの華麗な建物で、鎌倉時代に中国から伝えられた唐様建築を代表する、最も美しい建物として国宝に指定されているよ。
舎利殿は普段は一般には非公開になっているものの、正月や5月連休には期間限定で一般公開されるの。
ぜひ一般公開される期間を狙って参拝したいね。
この舎利殿には源実朝が宋の請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られているよ。
<洪鐘(おおがね・国宝)>
洪鐘は鎌倉三大鐘の1つで、関東で最大の大きさを誇るよ。
その大きさは高さ259.5㎝で、円覚寺の開祖で北条時宗の子・貞時(9代執権)が1301年(正安3年)に国家安泰を祈願して物部国光に造らせたものなんだ。
鎌倉時代の代表的な名鐘の1つである洪鐘はぜひとも見ておきたいね。
<弁天堂>
江ノ島弁財天の加護によって洪鐘の鋳造が完成したと伝えられていて、その弁財天を祀るお堂が「弁天堂」なんだ。
北条貞時が洪鐘とあわせて弁天堂を建立し、鎮守としたよ。
<方丈>
住職の居住する建物とされている方丈には約100体もの小さな観音像が並んでいるの。
ここを参ることで、100か所の観音詣でのご利益があるとされているよ。
また方丈には美しい庭園もあり、中に上がることもできるので人気のスポットなんだ。
6月には方丈までの道端にたくさんの紫陽花が咲き並ぶのでとっても綺麗だよ。
<妙香池>
国史跡名勝にもなっている妙香池は、門前にある白鷺池の同様に創建当初から存在する方丈池だよ。
1335年(建武2年)の境内絵図には妙香池が描かれているの。
2000年(平成12年)には江戸時代初期の絵図に基づいて、大裏庭園と合致した自然の姿に復元。
向こう岸にある岩は「虎頭岩」と呼ばれていて、この谷を切り開いた時に露出した岩盤をそのまま残したものなんだ。
むき出しになった地層の重なりが虎模様に見えることからそう呼ばれるようになったよ。
<居士林>
居士林とは禅を志す在家のための坐禅道場のこと。
居士とは一般の在家修行者を指すの。
東京・牛込にあった柳生流の剣道場が、1928年(昭和3年)に寄贈され、移築されたもの。
現在も毎週土曜日にこの居士林で一般向けの坐禅会が開催されているよ。
また秋には美しい紅葉スポットにもなるんだ。
<選仏場>
坐禅道場である選仏場は、1699年(元禄12年)に建立。
南北朝時代の作品と言われる薬師如来が安置されているよ。
【住所とアクセス】
住所
神奈川県鎌倉市山ノ内409
アクセス
電車の場合
東京/横浜より:JR横須賀線「北鎌倉駅」下車徒歩1分
バスの場合
鎌倉駅発江ノ電バス「大船駅行」、「上大岡駅行」または「本郷台駅」行き「北鎌倉駅」バス停下車徒歩1分
車の場合
横浜・横須賀道路「朝比奈インター」をおり20分