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2021年8月2日出雲大社は二礼四拍手一礼でお参りする!?正しい参拝方法をレクチャー♪
2021年8月8日日本には約8万8,000社もの神社があると言われていて、たくさんある神社の中でも特に有名な神社は三大神社と呼ばれているよ。
三大神社には、日本三大神宮、日本三大稲荷などいくつかに分類されていて、その中の1つが「日本三大大社」なんだ。
今回は日本三大大社の1つであり、別格の存在感を誇る島根県出雲市にある「出雲大社」についてまとめてみよう。
目次
【大社って何?神社や神宮と何が違うの?】
日本には〇〇神社、〇〇神宮、〇〇大社など色々な神社が存在するよね。
それぞれ、大社、神宮、宮など呼び方が違うのはどうしてなんだろう?
大社とは、由緒があり、規模の大きな神社のことで、社格が最上位の神社なんだ。
古く神社の格式を大・小または、大・中・小に分けたうちの第一位の神社なの。
この大社という社格は、明治4年(1871年)に定められた神社制度で、官幣大社・国幣大社の略称でもあるよ。
つまり大社という社号は、全国にある神社を格付けして上位に位置する神社の中でも、全国に多数ある神社を取りまとめる役割を持った神社なんだ。
元々は大社は「出雲大社」のみに使われる呼び名だったものの、奈良県・春日大社、長野県・諏訪大社が増えたことで出雲大社以外のことも指すようになったよ。
【別格な威厳を誇る出雲大社は、神話のふるさと「出雲」の象徴】
島根県出雲市にある出雲大社は、誰もが知る日本を代表する神社だよね。
日本三大大社の中でも別格な威厳を誇っているよ。
「いずもたいしゃ」と呼ばれることが多いんだけど、実は正式名称は「いずもおおやしろ」と言うの。
出雲は「神々の国」と呼ばれ、神話の地なんだ。
そんな出雲の象徴のように建っている出雲大社は、一度は訪れておきたい神社と言えるね。
【出雲大社と大国主大神】
出雲大社は日本一の縁結びの神様として、多くの人に知られているよね。
出雲大社の主祭神は「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」だよ。
大国主大神は「だいこく様」と慕われ、日本全国で祀られているんだ。
大国主大神は幾多の困難を越えて国土を開拓された国造りの神様で、さらにそのお国土を天照大御神(あまてらすおおみかみ)に譲ったとされる国譲りの神話でも知られているよ。
ちなみに出雲大社は、国譲りの代償として造営された壮大な宮殿が起源であるとされているの。
【大国主大神と因幡の白うさぎ】
大国主大神は、たくさんの兄弟の末っ子として生まれたそう。
大きな袋と打出の小づちをもって、米俵の上に立つ「だいこく様」の姿はよく知られているよね。
大国主大神が登場する有名な神話と言えば「因幡の白うさぎ」だよ。
大国主大神の兄弟の神様たちは、因幡の国に「八上比売(やかみひめ)」という美しい姫がいることを噂で聞きつけ、みんなで会いに行くことに決めたんだ。
大国主大神は兄たちの家来のように、大きな袋を背負わされ、一番後ろからついていくことになったそう。
兄弟たちが因幡の国の気多の岬を通りかかった時、サメに体の皮を剥がれて泣いている1匹のうさぎを見つけたんだ。
兄弟たちは、うさぎに意地悪をして「海水を浴びて風に当たるとよいよ」と嘘をついたの。
うさぎは騙されているとも知らず、言われるまま海に飛び込んで、風当りのよい丘の上で風に吹かれたんだ。
そうすると、海水が乾いて傷はもっと痛みだしたよ。
前よりも痛みが強くなり泣いているうさぎのところへ、後からやってきた大国主大神が通りかかったの。
大国主大神は、苦しんでいるうさぎにそのわけを聞き、「すぐに真水で体を洗って、蒲(がま)の花を摘んでその上に寝転ぶとよい」と教えてあげたんだ。
うさぎは大国主大神に言われた通りにすると、うさぎの体から毛が生え、すっかり元のしろうさぎに戻ったそう。
ずいぶん遅れて因幡の国についた大国主大神は、八上比売(やかみひめ)に求められたと言われているよ。
大国主大神は、出雲王朝を繁栄させるという偉業を成し、多くの女神と結婚してたくさんの子供をもうけたんだ。
この「因幡のしろうさぎ」の神話からも、大国主大神の優しさがよく分かるよね。
【出雲大社が縁結びの神様と言われる理由】
出雲大社は「日本一の縁結びの神様」として知られているけれど、なぜ縁結びの神様なんだろう?
実は、御祭神である大国主大神が、目に見えない世界の「結び」の霊力を司っているからなんだ。
大国主大神は、さきほども話した通り、遠い神代の時代、出雲の国に農業・業業・医薬など様々な知恵を授けて、「国造り」の大業を成し遂げた神様だよね。
大国主大神が築いた国は「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれ、あらゆるものが豊かで力強い国だったと言われているんだ。
豊かな国造りという大業を果たした大国主大神は、天照大御神に次のような言葉を伝えているの。
「これからは、この世の目に見える世界の政治は私の子孫があたることとする。あなたは目に見えない世界を司り、そこにはたらく「むすび」の霊力によって人々を幸福に導いてください。」
これが、大国主大神を祀る出雲大社が「縁結び」の神社とされている由縁なんだ。
多くの知恵を授けて、目に見える幸せを生み出した大国主大神は、今は目に見えない幸せ=ご縁を司っているんだよ。
大国主大神の司る「縁」は男女の縁だけではないんだ。
人々を取り巻くあらゆるつながりのご縁であり、広く人々と幸せのご縁を結んでくれるの。
境内には、大国主大神とスセリヒメ神が出雲大社にお鎮まりになられた由緒を紹介する「縁結びの碑」もあるの。
二柱の神は様々な試練を克服して愛を育み、夫婦の契りの盃を交わして永遠のご縁を結ばれたんだ。
出雲大社には、良縁を求めた多くの人々が、全国から参拝に来ているよ。
【出雲大社の歴史】
出雲大社は、日本最古の歴史書である「古事記」「日本書紀」に、その創建の由縁が記されているほどの古社だよ。
始まりは、大国主大神の国譲りに際して作られた壮大な宮殿だったそう。
「出雲国風土記」によると、大国主大神のために大勢の神々が集まって、宮をきずいたと記されていて「杵築大社」と呼ばれていたそう。
少なくても8世紀には大きな社が建てられていたと言われていて、平安時代中期に貴族の子供たちが教科書として用いた「口遊」には、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という当時の大型建造物を示す記述があるんだ。
それによると、出雲大社が最も大きく、次いで奈良の大仏殿、3番目に京都の大極殿であったとされているよ。
社伝によると、出雲大社の本殿の高さは、最古は約96mもあり、その後約48mになり、現在は約24mだよ。
昔は、今の4倍もの高さがあったんだね。
本殿の後ろにある八雲山が約100mだから、山の山頂付近ほどの高さがあったことになるよ。
圧倒的な大きさを誇っているよね。
当時の技術では、それほどまで高い木材建築は不可能ではないか?と否定する説も多かったんだけど、2000年に本殿南側で鎌倉時代初期の造営と推定される3本1組の巨大な柱根が発掘されたことで、巨大な神殿の存在を裏付ける発見となったんだ。
また、現在の境内は江戸時時代前期の寛文7年(1667年)の造営遷宮で計画されたもので、今もその当時の建物が多く残っているよ。
本殿など瑞垣内のお社は、その次の延享元年(1744年)の造営遷宮で建て替えられたものになるよ。
【出雲大社の遷宮について】
出雲大社では平成20年から60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われたよ。
この遷宮とは、御神体や御神座を本来あったところから移して、社殿を修造して、再び御神体にお還りいただくことなの。
遷宮の意味には諸説あって、
・木造建築の建物を維持していくため
・社殿の建築など様々な技術を継承していくため
・神社は清浄であることが必要なため(遷宮することで神の力がリフレッシュされる)
などの理由があると考えられているよ。
ちなみに出雲大社の他に、伊勢神宮でも遷宮は行われるんだ。
出雲大社の遷宮は、延享元年(1744年)、文化6年(1809年)、明治14年(1881年)、昭和28年(1953年)に行われ、その都度本殿をはじめとする社殿の修理が行われたの。
平成20年から行われた遷宮は、平成31年まで行われ「平成の大遷宮」と呼ばれているよ。
次に「平成の大遷宮」についてまとめてみよう。
<平成の大遷宮>
平成20年4月、御祭神である大国主大神が御本殿から御仮殿に御遷座される「仮殿遷座祭」が執り行われたよ。
翌年21年からは、御本殿だけではなく、摂社・末社でも修造工事が進められたんだ。
平成25年5月には、大国主大神が修造の終わった御本殿にお還りになる「本殿遷座祭」が執り行われたよ。
平成28年3月に、境内境外すべての御社殿の御修造遷宮が完了。
さらに、出雲大社と密接な関係を持つ、国造家鎮守社8社他の修造や、文化財などを展示するための宝物殿の改修等が行われたよ。
そうして、平成31年3月をもって「平成の大遷宮」が完遂されたんだ。
御本殿の修造には、震災被害にあった東北地方の木材なども使用されたそう。
また銅板などは130年ぶりに「ちゃん塗り」と呼ばれる特殊な塗装が施されたんだ。
ちゃん塗りとは、松ヤニやエゴマ油、鉛、石灰を混ぜた塗装で、約130年前の大屋根が再現されたよ。
また約70万枚もの檜皮が敷き詰められた大屋根もきれいになったんだ。
この檜皮は防水性に優れていて、伝統的木造建築の最高の屋根材としても知られているよ。
出雲大社では、一般の約1.5倍の長さの檜皮が使われていて、御本殿屋根の面積は約180坪、軒先の厚さは約1mにもなるんだ。