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2021年6月30日日本には77,000以上のお寺があるんだけど、その中でも日本三大寺と呼ばれる3つのお寺があるんだ。
今回は日本三大寺の1つである大安寺(大官大寺)についてまとめてみよう。
目次
【日本三大寺とは?】
日本三景、日本三台夜景、日本三大祭りなど日本には古くから「日本三大○○」と呼ばれるものがあるよね。
神社にも日本三大神宮、日本三大大社、日本三大稲荷などがあるんだけど、実はお寺にも「日本三大寺」があるんだ。
この日本三大寺は仏教伝来以来の古い歴史を持っていて、その中でも特に格が高いとされるお寺なの。
日本三大寺は
・大安寺(大官大寺):奈良県奈良市
・元興寺(飛鳥寺):奈良県奈良市
・弘福寺(川原寺):奈良県高市郡明日香村
になるよ。
3つのお寺全てが奈良県にあるんだ。
いずれのお寺も初期の日本仏教の発展に大きな役割を果たしたんだけど、現在は衰微しているの。
仏教そのものはインド僧によって日本に持ち込まれたと考えられているんだけど、『日本書紀』や『続日本記』に記載もあるため、日本独自の仏教もあると考えられているんだ。
日本には有名なお寺がたくさんあるけれど、日本三大寺についてはあまり知られていないよね。
【大安寺(大官大寺)の歴史とは?どんなお寺なの?】
奈良県奈良市の中心部にある大安寺(大官大寺)は高野山真言宗の寺院になるんだ。
南都七大寺の1つである大安寺は、東大寺、興福寺と並ぶ大寺院で、日本の仏教史上非常に重要な寺院になるの。
創立者は聖徳太子と伝えられていて、本尊は十一面観音。
聖徳太子の意向によって、田村王子(舒明天皇)が熊凝精舎を改修して本格的な寺院としたものが、大安寺のはじまりとされているの。
639年に建築がはじまったこのお寺は百済川(現在の平野川)のあたりにあったことから「百済大寺」と呼ばれていたんだ。
百済大寺は、四天王寺や法興寺とならぶ最古の仏教寺院で、国家の庇護と監督を受ける寺である「官寺」としても最初期のものだったの。
673年に高市に移転してから「高市大寺」と改名し、677年にはさらに改名され「大官大寺」という名称になったよ。
平城京への遷都に際して、飛鳥から大官大寺を移転させ「大安寺」へと改名したんだ。
大安寺の造営には道慈が唐の新様式を取り入れたと伝えられているの。
この時代、大安寺は元興寺とともに三論宗の二大潮流を形成して、当時の仏教の中心となり、南大門外に東西両塔を配した大伽藍であったんだ。
平安京への遷都後は、空海が別当にされるなどしたものの、その頃の仏教のトレンドは密教へと移ってしまったため、中世以後は徐々に衰えてしまうの。
火災などが相次ぎ、衰退が進んだ大安寺は、1596年の地震でついに小堂ひとつのみとなってしまったよ。
そして、第2次世界大戦後に、大安寺の発掘調査が行われ、当初の伽藍配置が確かめられたんだ。
また、大安寺には奈良時代頃に作成されたとされる木彫仏「聖観音」など9体が残されていて、彫刻史上大安寺派とも呼ばれているの。
大安寺はJR奈良駅から南へ1.5kmほどの市街地にあり、奈良時代前半には約26万㎡あった境内は、時代とともに規模が縮小し、現在は約1万㎡と最盛期の4%ほどになってしまっているの。
また境内だった場所には住宅が立ち並んでいるよ。
【大安寺の造営を行った道慈律師とは?】
大安寺の造営には道慈律師が唐の新様式を取り入れたと伝えられているの。
この道慈律師は、大和国添下郡の額田氏の生まれで、幼い頃から優れた資質を持っていたそう。
大宝2年の遣唐船で入船し、粟田真人や歌人・山上憶良などが使節として同乗していたんだ。
唐に行った道慈は、長安の西明寺に留まり16年間学んだよ。
この西明寺は迎賓館としての性格をもった名刹であり、道慈はその伽藍を模して大安寺を作ったとされているんだ。
道慈が帰朝したのは養老2年(718年)で、在唐中に経典を渉覧し研鑚を積んだことから、唐の皇帝から優賞を加えられたんだ。
また三論に精通し、工巧にも優れており、金光明最勝王経や虚空蔵菩薩求聞持法をもたらしたとされているよ。
帰国した翌年には、桑門の範として神叡とともに食封五十戸を賜るなど、宗教界の大きな指導的存在となっていたんだ。
そうして天平元年(729年)には律師に補せられているよ。
【癌封じの寺として有名な大安寺】
現在、大安寺は癌封じなどのご利益があるお寺として信仰を集めていて、ガン患者さんが参拝しているんだ。
大安寺は古くから官立寺院として様々な役割を担う場であり、その役割の1つが「悪病難病封じ」なの。
その背景から、現在は悪病難病の最たる「癌」を封じることができるお寺として知られているんだよ。
【大安寺の行事】
大安寺は年間を通して様々な行事が行われているんだ。
有名なものをいくつかまとめてみよう。
<修正会(大般若会)>
1月1日~3日に行われる修正会は、除夜の鐘の響きとともに、本堂では般若会が修されて、松三宝昆布挟みの儀が執りおこなわれるの。
護摩堂では越年の護摩が焚かれるよ。
境内には108本の竹明かりが灯されて、新年のお祝いがされるんだ。
三が日は大般若会の祈祷が終日続けられるの。
<光仁会(癌封じささ酒祭り)>
毎年1月23日に行われる癌封じささ酒祭りは、参拝者が、竹筒に入れて温めた日本酒を飲んで健康を祈るお祭りだよ。
大安寺のお祭りの中でも特に有名で、桓武天皇が文武百官を伴い、先帝・光仁天皇の一周忌の齋会を大安寺で営まれたという『続日本紀』の故事にちなむと伝承されているの。
風雅な青竹づくしの祭儀で、光仁天皇ゆかりの笹酒の接待が行われるよ。
ちなみにこの笹酒は「ガン封じの笹酒」として広く知られているの。
<馬頭観音厄除け法要>
三月午の日に行われる馬頭観音厄除け法要には、馬主をはじめとした競馬関係者が馬の安全・加護を求めて参詣しているよ。
大安寺の馬頭観音は、日本最古の像として知られていて、その霊験は広く伝えられているの。
徳川八代将軍・吉宗の父である紀州徳川二代藩主・徳川光貞は、この馬頭観音をことのほか信仰していて、その霊験を秘文四字に浄書し、吉宗はその秘文を災厄除けの護符として持っていたとされるよ。