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忠臣蔵ファン必見!東京・泉岳寺は赤穂浪士が眠るお寺

本堂(開山堂) from wikipedia

東京都港区にある泉岳寺は忠臣蔵の聖地として有名なお寺。

赤穂事件で名高い浅野長矩と赤穂浪士が葬られているんだ。

ここでは47人の赤穂浪士が眠る泉岳寺の魅力をまとめてみよう。

 

足軽レモン
足軽レモン
現在でも人気の高い赤穂浪士にまつわるお寺だよ!

 

【泉岳寺とは?】

 

東京都港区にある泉岳寺は慶長17年(1612年)に徳川家康が門庵宗関和尚を迎えて開山した曹洞宗の寺院。
徳川家康が幼い頃主君であった今川義元の菩提を弔うために創建したお寺で、青松寺・総泉寺とともに、曹洞宗江戸三箇寺にも数えられているよ。

 

元々、泉岳寺は外桜田(現在の千代田区)にあったんだけど寛永18年(1614年)の大火によって伽藍が焼失してしまうの。
その後、徳川3代将軍・家光の時に、赤穂藩の浅野氏や毛利・朽木・丹羽・水谷の5人の大名に復興を命じ、現在の高輪に移転したんだ。

毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名は尽力を尽くした結果、5大名はそれ以降檀越となり外護の任に当っているよ。
浅野家と泉岳寺との付き合いはこの時に始まり、赤穂藩・浅野家の菩提寺になったんだ。

 

泉岳寺は明治初期に廃仏毀釈の余波を受けるものの、地道な努力により再興。
明治・大正・昭和にわたって繁栄していくよ。

 

浅野 長矩 from wikipedia

 

【赤穂浪士とは?】

 

赤穂藩と言えば、赤穂藩の元武士である赤穂浪士47人が主人の敵討ちをして、最後に切腹を命じられる「忠臣蔵」のエピソードが有名。

元禄14年(1701年)に、江戸城松で吉良上野介に斬りつけた浅野長矩は、徳川綱吉に切腹を命じられてしまうの。
切腹後、浅野長矩の亡骸は菩提寺である泉岳寺に葬られたよ。

 

その翌年、赤穂浪士たちは主人・浅野長矩の敵討ちをするために、吉良上野介を殺害。
元禄16年(1703年)に、大石内蔵助など47士は切腹し、泉岳寺に葬られたんだ。
赤穂浪士は、主人への忠義を讃えられ、その死後に「赤穂義士」と呼ばれるようになったよ。

 

大石内蔵助 from wikipedia

 

【忠臣蔵の聖地・泉岳寺には忠臣蔵にまつわるスポットが随所にある!】

 

泉岳寺と言えば「忠臣蔵」の聖地。
穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、忠臣蔵の名で有名な赤穂浪士47名が眠る寺として知られているんだ。

毎年4月1日~7日、12月14日には義士を供養する「赤穂義士まつり」を開催していて、全国から多くの参拝者が訪れるよ。
忠義を尽くした義士1人1人に多くの人が線香をあげていくんだ。

 

境内には忠臣蔵にまつわるたくさんの見どころがあるの。
それぞれまとめてみるね。

 

大石内蔵助良雄銅像 from wikipedia

 

<大石内蔵助吉雄銅像>

大石内蔵助吉雄銅像は、浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願で鋳造されたものが泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日除幕したもの。
当時の風俗である元禄羽織を身につけた大石内蔵助吉雄が手にしているのは、討ち入りの連判状だよ。
銅像は江戸方面である東の空をじっと睨んでいる姿を現しているの。

 

<主税梅>

三田の松平壱岐守邸に植えられていた梅が移植されたもの。
この三田の松平壱岐守邸は、赤穂浪士・大石内蔵助吉雄が切腹した屋敷なんだ。

 

<瑤池梅>

義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したもの。

 

<首洗い井戸>

首洗い井戸は、赤穂義士が討ち入り成功後に、両国から持ち帰った吉良上野介の首級を洗ったとされる井戸。
この井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したことから「首洗い井戸」と呼ばれるようになったそう。

 

<血染めの梅、血染めの石>

血染めの梅、血染めの石は、浅野長矩が田村右京大夫邸の庭先で切腹した時に、その血がかかったと伝えられている梅と石だよ。

 

赤穂義士墓所 from wikipedia

 

<赤穂義士墓地>

赤穂義士が元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後に、すぐにここに埋葬されたよ。
お墓には赤穂義士の名前・年齢が記載されていて、お線香の煙が常に立ち込めているの。

 

赤穂義士墓地は国の史跡となっており、討ち入りした47士の他に、討ち入り以前に自害した萱野重実の供養墓を含め48基の墓塔が並んでいるよ。
義士たちの墓は討ち入り後の預け先によってそれぞれ分けられ、並べられているのが特徴なんだ。

 

赤穂義士記念館 from wikipedia

 

<赤穂義士記念館>

赤穂義士記念館は討ち入り300年にちなんで2001年に開館された資料館。
赤穂浪士の貴重な遺品や忠臣蔵の資料などが展示されているよ。
忠臣蔵に関してのビデオ上映などもされており、忠臣蔵ファンには必見スポットなんだ。

 

義士木像館 from wikipedia

 

<講堂(義士木像館)>

講堂は大正14年(1925年)に建設、平成16年(2004年)に改装。
1階は講堂として使用されていて、2階の義士木像館には江戸末期から明治時代初期までに制作された赤穂義士47名の木像が展示されていて、一般公開されているよ。

 

 

赤穂義士墓所 from wikipedia

 

 

【赤穂義士の魂を慰めるイベント】

 

泉岳寺では毎年、赤穂義士の魂を慰めるために祭事を行っているよ。

<赤穂義士まつり>

毎年4月1日~7日、12月14日には義士を供養するために開催されているのが「赤穂義士まつり」だよ。
浅野長矩と48人の義士たちの墓前で供養が執り行われるほかに、財界二世学院による「義士行列」も行われるんだ。
この赤穂義士まつりには全国からたくさんの参拝客が訪れるよ。

 

<月例 参禅会>

泉岳寺では月に1階、坐禅の指導が受けられる「参禅会」を開催しているの。
参加費は無料で、事前の申込も不要となっているから、気軽に参加できるよ。

 

【まだまだある!泉岳寺のおすすめスポットを徹底解説!】

 

泉岳寺には忠臣蔵にまつわるスポットの他にも、見ておきたい場所がたくさんあるよ。
ここでは泉岳寺境内を参拝したら見ておきたいスポットをまとめてご紹介するね。

 

山門 from wikipedia

 

<山門>

泉岳寺にはかつて「総門・中門・山門」の3つの門があったそう。
現在は、中門と山門のみが残っているよ。
山門は天保3年(1832年)に34世大道貞鈞和尚代が再建したもの。

 

1階部分の天井には江戸三龍の1つである銅彫大蟠龍がはめ込まれているよ。
また2階部分には釈迦三尊像と十六羅漢が安置されているんだ。
「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書。

 

中門 from wikipedia

 

<中門>

中門は天保7年(1836年)に35世大龐梅庭和尚代によって再建されたもの。
昭和7年(1032年)に大修理が行われたよ。
「萬松山」の額は、中国明時代の禅僧・為霖道霈による書。

 

<梵鐘・鐘楼堂>

朝の坐禅時と夕方の閉門時に毎日撞かれている梵鐘は、1931年に41世普天霊明和尚代によって造られたもの。
江戸時代~明治時代まで使用されていた梵鐘は、ウィーン国立民族博物館に所蔵されているよ。

 

<本堂>

第二次世界大戦で空襲にあって消失した旧本堂に代わって建てられたのが本堂。
現在ある本堂は、昭和28年(1953年)に落成された鎌倉書式の建築。

御本尊は釈迦牟尼仏で、その他に曹洞宗の宗祖・道元禅師・瑩山禅師や、大石内蔵助の守り本尊・摩利支天が祀られているよ。
正面に掲げられている「獅子吼」の額は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを言うの。

 

<澤木興道老師像>

澤木興道老師像は、坐禅をもって生涯を貫いた禅僧の一人だよ。

 

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
21世紀になった今でも当時の刀剣などが見つかったりしているんだよね!
お坊さんレモン
お坊さんレモン
赤穂義士ファン必見の泉岳寺でした!

【泉岳寺の住所とアクセス】

 

住所

東京都港区高輪2丁目11−1

 

アクセス

都営浅草線=泉岳寺駅下車(A2出口) 泉岳寺駅からは徒歩3分約200m
JR山手線=高輪ゲートウェイ駅から徒歩7分

公式サイトより引用