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2021年11月20日
日本最古の正史とされる『日本書紀』において日本建国の地と記されているのが橿原なんだ。
その建国の聖地・橿原にあるのが「橿原神宮」だよ。
ここでは初代天皇であると伝えられている神武天皇が、橿原宮で即位したという『日本書紀』の記述に基づいていて建立された「橿原神宮」についてまとめてみよう。
目次
【橿原神宮とは?】
橿原神宮は、畝傍山の南東麓、約50万㎡もの広大な神域に建てられた檜皮葺きで素木造りの本殿と神楽殿が魅力的な神宮だよ。
初代天皇であると伝えられる神武天皇が、橿原宮で即位したという『日本書紀』の記述に基づいて、明治23年(1890年)に建てられたんだ。
それ以来、第一代天皇を祀るお社として、日本全国から崇敬を集めてきたの。
令和2年には創建130年を迎えたんだ。
本殿は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したもので、本殿と文華殿は重要文化財にも指定されているよ。
境内は荘厳な雰囲気を醸し出しており、本殿と神楽殿を訪ねると日本の伝統的な建築美に出会うことができるんだ。
【橿原神宮の御祭神とは?】
橿原神宮がお祀りしているのは、第一代神武天皇と、皇后・媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)だよ。
神武天皇は天照大神の天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)より四代目に当たるんだ。
また、皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、大物主命の御娘に当たる方なんだよ。
【橿原から日本という国が始まった?】
日本最古の正史とされる『日本書紀』において、奈良の橿原は日本建国の地と記されているんだ。
今から2600年あまり前に、天照大神の子孫と言われる神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)、後の神武天皇は、日向国(現在の宮崎県)の高千穂宮に住んでいたんだ。
45歳の時、全ての人々が豊かに暮らせる平和な国づくりをめざして、高千穂の宮から日本の中心地を目指して東に向かったよ。
出発してしばらくは順調な船旅だったものの、目指す大和国を目前にした、孔舎衛坂(現在の東大阪)の地で、豪族・登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の待ち伏せに遭遇してしまうの。
そこで神倭伊波禮毘古命の兄・五瀬命(いつせのみこと)が敵の放った矢に倒れてしまうんだ。
神倭伊波禮毘古命たちは海に逃げるものの、これまで苦楽を共にしてきた兄は無念の死を遂げてしまうの。
さらに肉親を亡くし神倭伊波禮毘古命の悲しみに追い打ちをかけるように、激しい暴風雨が船を襲うんだ。
暴風雨に耐えた神倭伊波禮毘古命は、紀国(現在の和歌山県)の熊野に上陸。
そこで、天照大神に遣わせた神鳥・やたがらすの導きのもと、行く先々で土着の国つ神(くにつかみ)たちを付き従えて、荒ぶる神々との争いを制すの。
最後は仇敵・登美能那賀須泥毘古との戦いにも勝利したんだ。
想像を絶する苦難を乗り越えた神倭伊波禮毘古命は、ついに大和を平定し、畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建したの。
そして橿原宮で第一代神武天皇として即位したんだ。
ここから、日本という国の歴史は始まったと言われているよ。
【橿原神宮で訪れておきたいおすすめスポットを解説】
畝傍山の東南麓にある橿原神宮の広大な境内には、たくさんの見どころがあるんだ。
神話が息づく橿原の地ならではのおすすめのスポットをまとめてみるね。
<表参道>
表参道は、広大な参道で第一鳥居から南神門前広場まで西に向かって約300mもまっすぐに伸びているんだ。
参道の両脇に広がる森は、昭和15年(1940年)の宮域拡張整備の際に植えられた木々。
植栽されたのは橿原の地名にちなんでカシ類を主とする樹木76,000本余りだったんだ。
神武天皇の即位2600年をお祝いする人達によって1本1本、祈りを込めながら植えられたそう。
<鳥居>
橿原神宮の鳥居は4基あるよ。
その中で、表参道に建つ第一鳥居は高さ10mクラスの大鳥居なんだ。
4基の鳥居は、全て素木造りで、色を塗らずに木の地肌や風合いをそのまま生かした造りとなっているよ。
朱色に塗られているのではなく素木造りなのは、橿原神宮が皇室ゆかりのお社であることを示しているんだ。
一般的に御祭神が「天皇」や「天皇や天照大神の系譜」の神社の場合、鳥居は素木造りと言われているの。
<深田池>
深田池は橿原神宮境内の中で最も古い場所と言われていて、橿原神宮ができるよりずっと前から存在していたそう。
少なくとも万葉の時代から存在していたと言われているんだ。
この深田池は、南神門前広場の南方にあって、面積は約1万5,000坪で、畝傍山の南斜面から流れ込む雨水が水源となっているの。
自然豊かな深田池には、数多くの野鳥が生息していて、奈良県内でも有数の野鳥の飛来地として知られているよ。
遊歩道が整備されているので、池の畔をゆっくりと散策することができるんだ。
<さざれ石>
国家である「君が代」の歌詞に「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」とあるけれど、この「さざれ石」が橿原神宮で見ることができるよ。
外拝殿から向かって右手に、さざれ石が巌になった状態の実物が置いてあって、誰でも自由に見ることができるの。
さざれ石とは漢字では「細石」と書き、巌とはたくさんのさざれ石が長い年月をかけて引っ付き、1つ大きな固まった岩のことなんだ。
さざれ石は、弥栄(いやさか)の象徴であると言われていて、ますます栄えるようにと願いが込められているの。
<大絵馬>
高さ4.5m、幅5.4mの大絵馬。
一般的な絵馬の1600倍の大きさがある巨大な絵馬は、今上天皇の生誕を祝って昭和35年(1960年)に近鉄が奉納したのが始まりなんだ。
毎年、年末になると外拝殿に翌年の新しい大絵馬に替わるのが恒例だよ。
大絵馬の前で写真を撮影すると、良運が駆け寄ってくると言われているから、参拝した際にはぜひ写真を撮っておこう!
<外拝殿>
外拝殿は入母屋造で、広がっていくような屋根の形が特徴。
この形は争うことなく、1つ屋根の下で肩を寄せ合って暮らせる世界をという神武天皇の理想を表しているんだ。
外拝殿の石階段を上がると、大柱が建ち並び豪壮な造りをしているの。
正面には、白い砂利が敷き詰められた外院斎庭があり、その奥に見える内拝殿の美しさに心が奪われるよ。
内拝殿は通常入ることはできないんだけど、毎年2月11日の建国記念の日に行われる例祭「紀元祭」などの祭典や特別参拝が行われる拝殿なんだ。
<御本殿>
御本殿に鎮座するのは、ご祭神の神武天皇とその皇后である媛蹈韛五十鈴媛命皇后の2柱だよ。
橿原神宮の御本殿の屋根には、普通であればあるはずの千木と鰹木がないんだ。
千木と鰹木がないのは、この御本殿が明治23年(1890年)の橿原神宮創建時に、明治天皇から下賜された京都御所内の内侍所を移築したものだからなの。
内侍所とは「恐れかしこむべき所」であり、天照大神が祀られていた最も神聖な御殿なんだ。
つまり天皇からいただいた尊く大切なものだから、通常は本殿の屋根にある千木、鰹木は置かれていないの。
そのため橿原神宮では、異例ではあるものの千木と鰹木は、社殿の中でも御本殿に続いて大切な建物である幣殿の屋根に置かれることになったんだ。
御本殿は安政2年(1855年)の建造で、重要文化財にも指定されているよ。
ちなみに御本殿へは直接参拝はできないんだ。
<神武天皇陵>
橿原神宮には神武天皇が眠る陵墓があるよ。
正式名は畝傍山東北陵といい、畝傍山の東北の麓にあるの。
円丘で、周囲は約100m、高さは約5.5m。
橿原神宮から神武天皇陵へ行く際には、北神門から出て北参道を通っていくのがよいよ。
周辺には神武天皇陵の他にも、第2代・綏靖天皇、第3代・安寧天皇、第4代・懿徳天皇などの御陵があるんだ。
神武天皇陵は皇室と深いゆかりがある場所であり、平成31年に天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后)が神武天皇陵を訪れて、神武天皇に退位を奉告されたよ。
<畝傍山>
日本建国の聖地を麓に抱く畝傍山・耳成山、香具山は大和三山と呼ばれ、古くから人々に親しまれてきたんだ。
畝傍山は高さ約200mほどで、橿原神宮の北参道にある登山道入り口から山頂までは約30分の道のりなの。
手軽に登れるので、ぜひ参拝ついでに登拝しておきたいね。
<授与所>
橿原神宮の授与所では、お守りやおみくじ、御朱印などを授与してもらえるよ。
橿原神宮では、開運、厄難解除、交通安全など様々なご利益を頂けるんだ。
そのため、お守りの種類もたくさんあるよ。
その中でも特に人気があるのが神武天皇を勝利へ導いたと伝わる金鵄(きんし)をモチーフとした「勝ち守」だよ。
その他、金鵄みくじや、神武天皇が勝敗を占ったとされる鮎をかたどったおみくじなんかもあるんだ。
住所
奈良県橿原市久米町934
アクセス
近鉄橿原神宮前駅から徒歩で8分(近鉄橿原神宮前駅中央出口より)