神田明神のおすすめスポットや神田明神境内末社を徹底解説!
2024年6月15日
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2024年6月15日

日本で唯一の蘇鉄枯山水庭園がある妙国寺は歴史的事件が起こった場所!?

妙国寺 from google

大阪府堺市にある妙国寺は、かつて外国の兵士や土佐藩氏が処罰された怖い場所でもあるんだ。

そのため「行ってはいけないお寺」にランクインされているの。

今回は妙国寺の魅力に迫ってみよう。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
ちょっと恐ろしいですね〜

 

妙国寺 from google

 

【妙国寺とは?】

 

妙国寺は大阪府堺市にある戦国武将や茶人ゆかりのお寺だよ。
日蓮宗の本山(由緒寺院)であり、山号は広普山。

 

妙国寺がある大阪府堺市は与謝野晶子の生誕地としても知られていて、静かな寺町。
その一角に堂々と建つ妙国寺は、織田信長や徳川家康など天下人がたびたび訪れ、皇室が定めた勅願所でもあったんだ。
数ある日蓮宗本山の中でも、移植の歴史を持っているよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
織田信長や徳川家康も訪れていたんですね〜!

 

妙国寺 from google

 

【妙国寺の歴史】

 

妙国寺は永禄5年(1562年)に、日蓮宗の学僧・日珖が開いたのが始まり。
大蘇鉄を含む東西三丁、南北五丁の土地と寺領500石を寄進し、設立されたの。
永禄9年(1566年)には、日珖の父である堺の豪商油屋常言、兄の常祐が協力して、妙国寺の境内に堂塔伽藍を建立。

名を「広普山妙國寺」と称して、永禄11年(1568年)に完成。
天正11年(1583年)までに広大な寺地には14の坊、南北の学問所などを備えた伽藍が完成したんだ。

 

しかし、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際に、徳川家康が滞在していると聞いた豊臣方の大野治房隊によって焼き討ちを受けてしまうの。
その後、寛永5年(1628年)に本堂が再建され、続いて祖師堂や三重塔なども建立。

 

太平洋戦争中の昭和20年(1945年)には大阪大空襲に遭い、経蔵と大蘇鉄だけを残して全て焼失してしまうんだ。
昭和48年(1973年)、本堂を再建して現在の形になったよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
復建して良かったです!

 

妙国寺のソテツ from wikipedia

 

【妙国寺の大蘇鉄は伝説がある?】

 

妙国寺の境内には樹齢1100年の大蘇鉄があるの。
この大蘇鉄は国指定の天然記念物であり、現在は大小120数本の幹枝があるよ。
江戸期の「和泉名所図会」には「大枝22本、小枝78本、総まわり25尺、高さ22尺余り、枝葉6~7間は一面の蒼色ですいらんの如し」と記されており、堺を代表する名木なんだ。

 

<蘇鉄とは?>
蘇鉄(ソテツ)は、日本本州の南端から九州・沖縄など暖かい地域に自生する裸子植物。
一般には寺社や旧家などの庭園樹として賞用されているよ。

蘇鉄は古くから鉄を好むとされていて、弱った幹に古い釘などを差し込むと、樹勢が回復すると伝わっているの。
そのため「蘇鉄」という名前になったんだ。

 

月岡芳年画 from wikipedia
左: 月岡芳年『新形三十六怪撰』「蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル」ここでは森蘭丸のみが描かれている。
右: 月岡芳年『和漢百物語』
小田春永は織田信長のこと。驚く信長と森蘭丸を描いたもの。ロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵。

 

<大蘇鉄の伝説とは?>
織田信長は天正7年(1579年)にその権力をもって、この大蘇鉄を安土城に移植させたの。
ある時、夜更けの安土城で、天下をとる構想を練っていた信長は庭先で妙な声を聞いたんだ。

蘭丸(森成利)に探らせたところ、庭にあった大蘇鉄が「堺妙国寺に帰ろう、帰ろう」とつぶやいたそう。
この怪しげな声に、信長は激怒してしまい、士卒に命じて大蘇鉄を切り倒すように命じたんだ、

しかし家来が大蘇鉄を斧や刀で切り付けたところ、家来はみな血を吐いて倒れてしまったの。
信長はこの祟りを恐れて、即座に大蘇鉄を返したよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
みんな血を吐いて倒れるなんて凄い力の祟りですね!

 

妙国寺に戻ってきた大蘇鉄だけど、日に日に弱ってしまい、枯れてきたの。
その姿を哀れに思った、妙国寺の開祖・日珖は大蘇鉄を蘇生するための法華経一千部を読んだんだ。

すると、満願の碑に大蘇鉄から宇賀徳正龍神が出現し、「鉄分のものを与え、仏法の加護で蘇生すれば、報恩のため、男の険難と女の安産を守ろう」と告げたよ。
日珖は早速、門前の鍛冶屋に命じて鉄屑を根元に埋めさせたところ、見事に大蘇鉄は蘇ったの。

 

この出来事があり、徳正殿を建立。
寺の守護神として宇賀徳正龍神を祀ることとしたんだ。

それ以降、善男善女が安産を念じて、折れた張りや鉄屑を大蘇鉄の根元に埋める姿が絶えないと言われているよ。
信長が移植した蘇鉄は本堂前にあるからぜひチェックしてみよう。

 

<日本で唯一の「蘇鉄の枯山水庭園」>
妙国寺の庭園は堺市指定文化財で、日本で唯一の蘇鉄で構成された枯山水庭園なんだ。
国指定の天然記念物である蘇鉄を取り巻く石組と、本堂東側の庭園が一体となって構成されているの。

 

室町時代に作られた枯山水庭園に小堀遠州が手を加えた、築山を築かない蘇鉄の配植を中心にした平庭林泉回遊式枯山水庭園。
江戸時代後期の姿を基本として復元整備が行われているよ。

蘇鉄の枯山水庭園には家康が褒め称えた蘇鉄や、駿府城に見立てた五輪塔、千利休の寄贈と言われる六地蔵灯篭や瓢箪型手水鉢などがあるの。

 

 

【妙国寺は本能寺の変の際に徳川家康が宿泊したお寺】

 

妙国寺は様々な伝説が残るお寺なんだけど、天正10年(1582年)に行った本能寺の変の際には、徳川家康がこの妙国寺に宿泊していたとされているよ。
徳川家康は数少ない手勢とともに堺を訪れていたの。
本能寺の変を聞き、妙国寺の僧や湯屋親子の助けを借りて、難を逃れたと伝えられているんだ。

 

妙国寺 from google

 

 

【妙国寺は堺事件が起こった場所】

 

妙国寺は幕末に起きた堺事件が行った場所として知られているの。
外国兵士や土佐藩士が処罰されたという暗い歴史があるため、妙国寺は「行ってはいけないお寺」にランクインすることもあるんだ。

 

妙国寺 from google

 

<堺事件とは?>
慶応4年(1868年)2月15日に、堺港へフランス軍艦の水兵が100名上陸。
大阪市内を歩き回り、婦女子を追い回すなど傍若無人なふるまいを行ったそう。

この問題に堺警備隊の土佐藩士が応対したものの、言葉が通じないため両者は銃撃戦になってしまうんだ。
銃撃応酬の末に、フランス兵が11名死亡してしまう事態になってしまうの。
これによって国際問題となり、フランスに賠償金を払うとともに、箕浦猪之吉、西村左平次など土佐藩士20名の切腹が命じられたんだ。

 

妙国寺 from google

 

慶応4年(1868年)2月23日、妙国寺において日仏立会人の面前で11名が割腹。
12人目にかかろうとした時に、フランスの立会検視人が見るに耐えないと、切腹は急遽中止とされ、残りの9名は土佐へ流刑となったの。

妙国寺には、境内で割腹した11名の土佐藩士を弔う石碑が残されているよ。

 

お坊さんレモン
お坊さんレモン
言葉が通じない、そして、武器を持っている人同士だとそうなってしまったか〜。。。

 

【妙国寺境内の見どころを解説!】

 

妙国寺境内にある見どころスポットをまとめてみよう。

<本堂>
妙国寺の本堂は昭和48年(1973年)に再建されたもの。
本堂前には、織田信長が移植した大蘇鉄があるよ。

 

<徳正殿>
宇賀徳正龍神をお祀りする社殿。

 

<伝三重塔柱跡 >
三重塔は慶長20年(1615年)4月28日の大坂夏の陣の兵火で消失したものを、万治元年(1658年)に再興したもの。
高さは9丈(27.3m)と高く、堺の町のランドマークとして目を惹く建物だったそう。
しかし昭和20年(1945年)の大阪空襲により、焼失。

 

<史料館>
史料館には以下の史料が残されているよ。

・日珖上人が使った経巻
・三好実休の肖像画
・豊臣秀吉の朝鮮出兵時の渡航朱印状
・大正天皇が皇太子時代に行幸の際使用した玉座光明皇后が書いた法華経の断片
・東郷平八郎の書
・堺事件の様子を伝える史料

 

<与謝野晶子・正岡子規の歌碑>
与謝野晶子は大阪府堺市出身。
妙国寺の側には、与謝野晶子の母校である堺女学校(現在は泉陽高校)が建っているの。
同校に夏目漱石が講演に訪れた際には、ともに妙国寺を訪れた正岡子規もここで詠んだ歌を残しているよ。
そのため妙国寺境内には、与謝野晶子・正岡子規の歌碑があるんだ。

 

【妙国寺の住所とアクセス】

 

住所

大阪府堺市堺区材木町東4丁1−4

アクセス